小笠原家墓所(浅間温泉)概要: 初代松本城の城主小笠原貞慶と秀政、忠脩の3代の廟所。小笠原家は元々は信濃国守護職を務めた名族でしたが、武田信玄の信濃侵攻により一時没落し上杉謙信、芦名家、織田信長と主家を変え、最終的に徳川家康の家臣となり天正11年(1583)に小笠原貞慶が松本城を与えられ復権しました。しかし、貞慶は家康の重臣である石川数正と共に豊臣家に出奔し松本城から離れ、その後改易、跡を継いだ小笠原秀政は再び家康の家臣となり大名へ復帰し下総古河(茨城県古河市)、信濃飯田(長野県飯田市)と移り、秀政の跡を継いだ忠脩が慶長18年(1613)に8万石に加増され松本に入封します。
しかし、秀政、忠脩は共に慶長20年(1615)の大阪の陣で戦死しています。現在の五輪塔は貞享2年(1685)に当時の松本城主水野忠直(従五位下中務少輔)によって建立されたものでそれぞれの菩提寺であった大隆寺、臨済寺、法性寺から墓碑を集め右から秀政(戒名:臨済寺殿)、貞慶(戒名:大隆寺殿)、忠脩(戒名:法性寺)の五輪塔を建立しています。当初は御霊屋も建立されていましたが天保12年(1841)の火災により焼失し、五輪塔と石垣のみが残されています。小笠原家墓所は歴史的な意義が高いことから松本市指定史跡に指定されています。
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