白馬村: 青鬼集落

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概要・歴史・観光・見所
青鬼集落(白馬村)概要: 青鬼集落は白馬村の中心部から北東方向青鬼集落(白馬村)の姫川を挟んだ対岸の南斜面の山裾、標高約760mに位置する山村集落です。現在でも江戸時代後期から明治時代に建てられた寄棟、茅葺(現在は鉄板で覆われている。)の古民家(伝統的家屋)14戸や、土蔵7棟、「青鬼神社」、「向麻石仏群」、「阿弥陀堂石仏群」といった宗教史跡、石垣で囲まれている200枚の棚田、江戸時代末期に開削された青鬼堰などが良好に残されています。青鬼集落は当時の山村集落の景観が残されている貴重な存在である事から平成7(1995)と平成8年(1998)に日本ナショナルトラストが調査を行い、集落の再評価が成され、平成10年(1998)に白馬村伝統的建造物群保存地区保存条例第5条の規定に基づき、「白馬村青鬼伝統的建造物群保存地区」が選定され、それに伴い平成11年(1999)に「青鬼集落保存会」が発足、さらに、青鬼集落が「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」との文部科学省が定める選定基準(昭和50年11月20日 文部省告示第157号)を満たしている事から平成12年(2000年)に集落と周辺地域南北約0.7キロ、東西約2.0キロ、面積59.7ヘクタールが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。又、青鬼集落の背後にある棚田は平成11年(1999)に農林水産省による日本の棚田百選に選定されています。

【 青鬼集落の歴史 】−青鬼集落が何時頃成立したのかは不詳ですが周辺には縄文時代の遺跡である善鬼堂遺跡、番場遺跡があり古くから人々の生活が営まれてきたと思われます。又、青鬼集落の鎮守である青鬼神社の創建が大同元年(西暦806年)と伝えられている事から、事実であれば奈良時代には既に集落として形成されていた事になり歴史的にも古さが感じられます。名称の由来には諸説あるそうですが、伝説によると隣村に鬼が現れ悪事を働いた為、青鬼集落(白馬村)村人は当地近くの大穴に閉じ込めたところ、不思議な事に鬼は当村に現れ今度は村の発展に尽力した為、神の使い「お善鬼様」として祀られるようになったそうです。そこで何時しか、鬼を追い出した村を鬼無里村(現在の長野県長野市鬼無里地区)、大穴に閉じ込めた村を戸隠村(現在の長野県長野市戸隠地区)、「お善鬼様」を祀った当村を青鬼村と呼ぶようになったそうです。青鬼集落は現在、静かな山村集落ですが当時は日本海側と信州を繋ぐ千国街道(長野県松本市〜新潟県糸魚川市)の宿場である千国宿(長野県小谷村千国)から分岐した間道が集落内を通り、善光寺(長野県長野市)や戸隠神社(長野県長野市)を結んでいた為、参拝者、物資を運ぶ商人が利用していたそうです。江戸時代末期の万延から文久年間(1860〜1863年)には住民(江戸時代末期時点では24戸)が協力して「青鬼上堰」延長約3kmが開削されると、飛躍的に生産効率が向上し現在見られるような棚田が形成されていきました(その後に開削された青鬼下堰は延長約2km)。現在では平成3年(1991)の減反政策により古代米の「紫米」が栽培され、集落の特産物になると共に「青鬼五月まつり」や「青鬼収穫祭」を催し多くの人達に田植えや収穫の作業に参加してもらう事で棚田の保全にもなっています。

【 青鬼集落の古民家 】−青鬼集落に建てられた民家は所謂「兜造」で屋根裏部屋に青鬼集落(白馬村)採光や通風を行う為、屋根の一部を切り取る事で壁面として開口部を設ける形式で当時青鬼集落でも養蚕が行われていたと思われます。一般的な兜造の養蚕民家では妻面の両側の屋根を切り取る場合が多いのですが、青鬼集落では正面桁側の屋根を大きく切り取っていているのが特徴で、通風や採光を取り入れる為、建物が略南側に同じ向きに建てられています。極端に規模が異なるものが無く、概ね間口が7間半から9間、奥行は4間半から6間と通常の農家建築よりは大型で見ごたえのある集落景観を形成しています。又、外観は正面が真壁造り、白漆喰仕上げ、所謂「化粧貫」が意匠として見栄えのように等間隔で配され、質の良い民家群が連続して見られます。青鬼集落には個別で文化財指定されている古民家はありませんが明治時代後期に建てられた降籏家住宅が「お善鬼の館」として観光客にも公開され当時の青鬼集落の暮らしの一端を見る事が出来ます。

青鬼集落:主屋一覧
・ 降籏家住宅−弘化4年(1847)以前−木造平屋建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 郷津家住宅−弘化4年(1847)以前−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 松倉家住宅−明治40年(1907)後−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 山本家住宅−明治40年(1907)後−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 松倉家住宅−明治41年(1908)頃−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 松倉家住宅−明治41年(1908)頃−木造平屋建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 降籏家住宅−明治41年(1908)頃−木造平屋建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 降籏家住宅−明治40年(1907)後−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 山本家住宅−明治41年(1908)−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 松沢家住宅−大正10年(1921)頃−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 山本家住宅−大正初期−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 西沢家住宅−明治40年(1907)以前−木造平屋建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 西沢家住宅−大正年間−木造2階建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入
・ 山本家住宅−明治40年(1907)後−木造平屋建、寄棟、茅葺(鉄板覆)、平入

白馬村青鬼集落
白馬村青鬼集落
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