飯山市(歴史)概要: 飯山市周辺には小菅神社や健御名方冨命彦神別神社、犬飼神社など奈良時代に創建したと伝わる神社が見られ古くから開けていた地域だったと思われます。特に信濃と越後を結ぶ重要な街道(後の谷街道)が古代から開削されていたとされ日本海の海産物などが信濃に持ち込まれました。中世は小菅神社が隆盛し境内には多くの堂宇、社殿が建立され修験僧や参拝者などで門前町が栄えたそうで戸隠・飯綱とともに北信濃三大修験場の一つに数えられました。
戦国時代に入ると上杉家の支配下となり、飯山城を信濃侵攻の重要拠点の1つとして永禄7年(1564)に大改修が行われています。江戸時代に入ると飯山藩が立藩し城には藩庁が置かれ周辺の中心地として城下町も整備されますが関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山・本多家と江戸時代中期までは短期間で藩主が交代するなど安定せず本多家になると明治維新まで7代世襲しようやく安定した藩政が行われています。明治元年(1868)には長野県唯一の戊辰戦争激戦地となった「飯山戦争」が行われ越後高田藩から進軍してきた衝鋒隊(旧幕府軍:偽官軍とも)と松代藩を中心とする新政府軍との戦火により多くの被害を受けました。
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