飯山城

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概要・歴史・観光・見所
飯山城概要: 飯山城の前身は鎌倉時代初期に鎌倉幕府の有力御家人だった泉親衛の居館として設けられたのが始まりとされます。泉親衛は北条家などが源氏宗家の排斥と幕府権力の乗っ取りを画策しているの危惧し、源氏主導の政権を確立する為「泉親衛の乱」を発生させますが、失敗し領地である飯山で隠遁したとされます。飯山城の築城年は不詳ですが応永年間(1394〜1428年)、周辺を領した泉氏が飯加左山にを築き居城としたことが始まりと推定されています。その後、当地を支配した高梨家の管理下に入り泉氏も従いました。

戦国時代に入ると武田家が信州深くまでに侵攻した事で高梨家は本城を高梨館から飯山城に移し上杉家に助力を頼みました。上杉家にとっても飯山城は信州と越後の国境に近く、交通の要衝だった事から軍事的拠点として重要視され永禄7年(1564)には上杉謙信の命で大改修され一大要塞となりました(一説には謙信自ら縄張りしたとも云われています)。飯山城は主に川中島の戦いで拠点として機能し永禄11年(1568)の飯山城攻略戦では武田軍の攻撃から見事守りきっています。

謙信が死去すると上杉家の跡継ぎ争いである御館の乱が起こり、上杉景勝が武田勝頼助力の条件の一つとして飯山城を割譲しましたが、天正10年(1582)に織田、徳川連合軍による甲斐、信濃侵攻により武田家が滅亡すると織田家家臣森長可の管理下に入り、さらに織田信長が本能寺の変で倒れると長可は本領に撤退した事で再び上杉領となっています。景勝は家臣である岩井信能に命じて飯山城の修築が行い現在見られる規模まで拡張されます。

慶長3年(1598)に景勝が鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になると関一政が3万石で飯山城の城主となり、慶長5年(1600)の関が原の戦い後は川中島藩18万石となった松平忠輝の附家老皆川広照が4万石で飯山城に入り飯山藩を立藩しています。慶長14年(1609)に広照が改易になると堀・佐久間(安政→安長→安次)・松平(忠倶→忠偵)・永井・青山家が短期間で藩主が交代し享保2年(1717)に1.本多助芳が2万石で入封すると10代まで本多家が藩主を歴任に明治維新を迎えています。明治元年(1868)の戊辰戦争の際は曖昧な立場だった事から旧幕府軍(衝鋒隊)から攻撃を受け城下町に大きな被害を受け飯山城も被弾しています(飯山城の移築城門である信叟寺山門にはその際受けた弾痕が見られます)。

【 飯山城の縄張り 】-飯山城は東側に千曲川が流れる独立丘陵の地に築かれた梯郭式の平山城で本丸から二の丸、三の丸と連ね西側に帯廓、西廓、外廓を配しその外側に外堀を廻し、本丸には藩主の居館、二の丸には藩庁が設けられ要所には2層櫓が設けられていたようです。現在も飯山城には高い石垣や郭の形状などが良好に残り、12門あった城門のうちの1つである2層の城門が再移築(殆ど原形が無かったそうで、古材も用いて推定で再構築されました。)され、城跡の本丸、2の丸部分がが昭和40年(1965)長野県指定史跡に指定されています。又、大手門が信叟寺の山門(当初は櫓門でしたが、明治39年:1906年に放火により上層部が焼失し下層部だけが修築されました)へ、城門の1つが妙専寺の山門にそれぞれ移築されています。又、飯山城本丸には藩主である本多家を祀った葵神社が建立されています。

【 復元城門:概要 】-現在の飯山城の城内に復元された城門は城内のどこに配されたのかは不詳。元々は楼門だったと思われますが、明治4年(1871)の廃藩置県により飯山藩が廃藩、飯山城が廃城となり、明治5年(1872)に飯山市柳原南条に居した丸山家に払い下げられた際に上層部が撤去され、長屋門形式に改変されたようです。平成5年(1993)に丸山家住宅が解体する事になり旧城門部分を飯山市が譲り受け、平成4年(1992)に発掘調査により、飯山城の南中門の基礎の礎石の位置などから、大凡、桁行5間(約9m)、梁間2間半(約4.5m)の規模だったと想定して平成6年(1994)に現在地で復元しています。外観の意匠などはあくまで想像されたもののようですが飯山城にこのような城門を復元したのは大きな意義があるとされます。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-長野県教育委員会・飯山市教育委員会
・ 現地案内板-飯山市・飯山市教育委員会

飯山城:写真

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