新町宿(北国街道)概要: 善光寺宿を控えた宿場町で稲積村、徳間村、東条村の三村が街道沿いに集められ成立、北国街道と飯山街道(新町宿−飯山城下−十日町)、草津街道(新町宿−渋温泉−草津温泉)の分岐点として発展しました。
現在は道路幅が変わらず土蔵や塗り屋造りの長屋門など点在するものの建物の建て替えも多く住宅街に埋没した印象を持ちます。追分には道標が建立され表面には「右 飯山 中野 渋湯 草津 道」・「左 北国往還」と刻まれ、裏面には「 慶応元年、施主、当所・野村弥平太、神代宿・藤屋藤蔵」と刻まれ地名、建立年、施主が明確で貴重なものとされます。
街道沿いに建立されている十王堂には馬頭観音像4体、地蔵菩薩像4体、十王像18体が現存し、境内には万治3年(1660)の庚申塔も建立されています。
宿場の街道からは蚊里田八幡宮の参道が伸び信仰の対象になっていたようです。蚊里田八幡宮の創建は源義家が後三年の役の際、守護神として神功皇后が朝鮮出兵の際、皇子出産を遅らせる為利用した鎮懐石を所持し、見事乱を鎮めた事から、その鎮懐石を御神体として社殿を造営したのが始まりとされます。御神体が男根を模ったものである事から特に性に関する御利益があるとして信仰されました。
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