木曽路(中山道):宿場町・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所
木曽路(中山道)概要: 木曽路は中山道の中で、特に木曽川上流地域中山道にある贄川宿から馬籠宿まで11の宿場町を結ぶ区間を木曽路と呼ばれました。木曽路には鳥居峠や馬込峠など難所が多いと同時に名所見所が多い事でも知られ江戸時代中期には当時の尾張藩書物奉行であった松平君山が近江八景を倣い木曽八景(徳音寺の晩鐘・駒 ヶ岳の夕照・御嶽の暮雪・桟の朝霧・寝覚めの夜雨・風越の晴嵐・小野の瀑布・与川の秋月)を選定しています。又、木曽路は現在でも当時の町並みを色濃く残しているのも大きな特徴の1つで、中山道最大級の規模を誇る奈良井宿(中山道34番目の宿場、天保14年:1843年当時は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒、家屋409軒)やいち早く地域を挙げて景観保全活動を行った妻籠宿中山道(中山道42番目の宿場、奈良井宿と同年では本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒、家屋31軒)、間宿でありながら漆器の生産で発展した木曽平沢(正式な宿場町ではなかった為、本陣、脇本陣、旅籠は設置されなかった。)は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。それ以外の宿場町でも十分に雰囲気を味わえる事が出来る他、妻籠宿の脇本陣奥谷(林家住宅)や奈良井宿の上問屋(手塚家住宅:現在は上問屋資料館)、贄川宿の深澤家住宅(江戸時代末期の町屋建築)、須原宿の定勝寺(山門、庫裏、本堂)が国指定重要文化財に指定され、上松宿に近い寝覚の床(木曽八景、浦島太郎の伝説)が国指定名勝に指定されています。中山道又、歴史的には木曽義仲(源義仲:信濃源氏)が育った地域とされ(幼名駒王丸は源氏一族の内紛により父親である源義賢が討たれ、木曽谷の中原兼遠の庇護となり成長したとされます。)、その後もその後裔とされる木曽氏が支配し街道沿いには義仲や木曽氏の史跡が点在しています。江戸時代に入ると大部分が幕府直轄領である天領となり木曽氏の重臣だった山村家が代官として領内(7千5百石)を支配し福島宿に代官所を設けました(木曽氏は戦国時代に武田家に従いましたが、武田家が衰退すると逸早く離反し織田家、徳川家に従い、徳川家が三河から関東に移封した際、下総国阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)1万石に移封され、その後没落しました。)。

木曽路の宿場町:概要

【贄川宿】贄川宿(長野県塩尻市)は木曽路最初の宿場町で木曽谷の入口にあたり要地だった為、贄川番所(福島関の添番所、特に木曽産の木材や工芸品など許可なく領外に輸出するのが取りしまわれた)が設けられ、明治2年(1869)に街道制度が廃止されるまで続けられました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒と比較的小規模で、街道整備が廃止になると重要性が失われ衰微し、昭和5年(1930)の大火により多くの建物が失われました。その中でも深澤家住宅は当時のまま残され国指定重要文化財に指定されています。鎮守である麻衣迺神社は天慶年間(938〜947年)に勧請された古社で本殿が江戸時代中期の建物として貴重な事から塩尻市指定文化財に指定されています。

【奈良井宿】奈良井宿(長野県塩尻市)は木曽路2番目(江戸方面から)の宿場町で、木曽路の中でも難所とされる鳥居峠を控え多くの旅人や商人達が奈良井宿を利用した為、「奈良井千軒」と云われる程に繁栄しました。しかし、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒と、正式に認められた宿泊施設はかなり少なく、木曽産の木材を利用した工芸品を製作する職人が数多く住んでいた事が窺えます。その為、2000〜3000人と木曽路では最大級の人口を擁し、町も下町、中町、上町に別れ、山沿いには神社仏閣も設けられました。奈良井宿は現在でも良好な町並みが残され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【藪原宿】藪原宿(長野県木曽郡木祖村)は木曽路3番目(江戸方面から)の宿場町で江戸から65里35町16間(259.1キロ)、京都から69里34町17間(274.7キロ)、高山方向を結ぶ飛騨街道奈川道の分岐点があり、難所である鳥居峠を控えていた事から多くの旅人が宿場を利用して繁栄し特産物だった「お六櫛」の産地としても栄えました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒があったと記録され、本陣は古畑家が歴任し間口14軒半、奥行21間半と木曽路最大級の規模を誇りました。度々火災があった事から宿場内には石垣による防火高壁が設けられ延焼防止の工夫が行われました。鎮守である薮原神社は天武天皇9年に勧請された古社で本殿は文化10年(1827)の古建築として貴重な事から木祖村指定文化財に指定されています。

【宮ノ越宿】宮ノ越宿(長野県木曽郡木曽町)は木曽路4番目(江戸方面から)の宿場町で江戸から66里35町(約268キロ)、伊那方向とを結んだ権兵衛街道との分岐点でもあり繁栄しました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、宿場長さ4町34間、宿場内には延焼用の高塀なども設置されていました。又、宮ノ越宿は木曽義仲縁の地として知られ菩提寺とされる徳音寺の境内には義仲や巴御前、小枝御前(義仲の母)などの墓碑(供養塔)が建立されています。明治16年(1883)の大火により江戸時代以前の多くの建物が焼失しましたが、その後の建てられた古民家が軒を連ね落ち着いた町並みを形成しています。

【福島宿】福島宿(長野県木曽郡木曽町)は木曽路5番目(江戸方面から)の宿場町です。中世は木曽一帯を治めた木曽氏の城下町として発展し、徳川家康の関東移封に伴い木曽氏が関東に移封になると家臣筋の山村氏が当地を治めました。山村氏は関ヶ原の戦いの際にも中山道を利用して西上した徳川秀忠軍の道案内などで功を上げ、江戸時代には木曽地域の代官職を賜りました。その為、福島宿は木曽路の中でも行政的中心として重要視され、日本四大関所の一つに数えられた福島関所が設けられ厳重に人や荷物の出入りの管理が行われました。福島宿は江戸時代後期に本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒となりました。現在も山村家代官所跡や福島関所跡、興禅寺などの史跡や、上ノ段の古い町並みなどが残されています。

【上松宿】上松宿(長野県木曽郡上松町)は木曽路6番目(江戸方面から)の宿場町です。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、宿場長さ5町31間。名勝が多く「木曽の桟(日本三奇橋、日本百名橋の番外、長野県指定史跡、歌枕、木曽八景)」や「寝覚の床(国指定名勝、木曽八景、浦島太郎伝説)」、「小野の滝(木曽八景)」などが点在しています。昭和25年(1950)の火災により江戸時代以前の建物の多くは失われましたが上町だけが延焼を免れた為、一部古い町並みが残っています。

【須原宿】須原宿(長野県木曽郡大桑村)は木曽路7番目(江戸方面から)の宿場町です。当初は木曽川の川沿いにありましたが正徳5年(1715)の大洪水で大きな被害を受け、享保2年(1717)に現在地に移転し江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒、宿場長さ4町35間となっています。水舟と呼ばれる木をくり抜いて作られた水汲み場が点在する宿場町、「水舟の里」として知られ、比較的良好な町並みを残しています。宿場端にある定勝寺は嘉慶年間(1387〜1388年)に創建し木曽三大寺に数えられる古刹として知られ、本堂、庫裡、山門が古建築として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

【野尻宿】野尻宿(長野県木曽郡大桑村)は木曽路8番目(江戸方面から)の宿場町です。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒。宿場内は枡形と思われる多くの曲がり角があるのが大きな野尻宿の特徴で「七曲り」とも呼ばれています。奈良井宿に次ぐ宿場長さで、東端には「いぼ石」と呼ばれる巨石(この石に触ると「いぼ」が完治すると信仰された)が有り上部には高さ約2mの石碑が建立され「南無妙法蓮華経」と刻まれています。数多くの火災により江戸時代の建物はありませんが、その後に建てられた古民家により落ち着いた町並みが見られます。

【三留野宿】三留野宿(長野県木曽郡南木曽町)は木曽路9番目(江戸方面から)の宿場町です。古くは木曾氏の城があり「御殿」が転じて「三留野」と呼ばれるようになったとされます。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒となっています。現在の町並みは明治14年(1881)の大火に再建されたものですが「出梁造り」古民家も点在して雰囲気が僅かに残っています。等覚寺の円空堂には「円空仏」や「天神像」、「弁財天坐像と童子像」が安置されています。

【妻籠宿】妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)は木曽路10番目(江戸方面から)の宿場町です。三州街道の飯田宿(飯田城下:飯田市)と妻籠宿を結んだ大平街道との分岐点でもあり、多くの旅人や商人が妻籠宿を利用しました。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒、明治時代に再建された脇本陣だった奥谷の邸宅が国指定重要文化財に指定されています。現在でも良好な町並みが残され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【馬籠宿】馬籠宿(岐阜県中津川市馬籠)は木曽路11番目(江戸方面から)の宿場町です。現在は岐阜県に属していますが、江戸時代は信州(現在の長野県)に属し木曽路最後の宿場町でした。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で構成されていました。本陣職を歴任した島崎家は島崎藤村の生家で代表作の1つ「夜明け前」は馬籠宿が舞台となって幕末から明治初期の宿場町の様子が描かれています。

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木曽路:記録

木曽路・宿場町(天保14年の「中山道宿村大概帳」参照)
・ 贄川宿−長野県塩尻市−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒、人口545人
・ 奈良井宿−長野県塩尻市−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒、人口2155人
・ 藪原宿−長野県木祖村−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、人口1493人
・ 宮ノ越宿−長野県木曽町日義−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、人口585人
・ 福島宿−長野県木曽町福島−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒、人口972人
・ 上松宿−長野県上松町−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、人口2482人
・ 須原宿−長野県大桑村−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒、人口478人
・ 野尻宿−長野県大桑村−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒、人口986人
・ 三留野宿−長野県南木曽町−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、人口594人
・ 妻籠宿−長野県木曽郡南木曽町−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒、人口418人
・ 馬籠宿−岐阜県中津川市−本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒、人口717人

木曽路・国の重要伝統的建造物群保存地区
・ 塩尻市奈良井重要伝統的建造物群保存地区-種別:宿場町-面積:約17.6ha
・ 塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区-種別:漆工町-面積:約12.5ha
・ 南木曽町妻籠宿伝統的建造物群保存地区-種別:宿場町-面積:約1245.4ha

木曽路・主要文化財
・ 深澤家住宅(主屋・土蔵・宅地など3軒)−贄川宿−国指定重要文化財
・ 上問屋史料館(手塚家:主屋,土蔵,座敷の3棟)−奈良井宿−国指定重要文化財
・ 寝覚の床−上松宿−国指定名勝
・ 定勝寺(本堂・庫裡・山門など)−須原宿−国指定重要文化財
・ 脇本陣奥谷(林家:主屋・土蔵・文庫蔵・侍門)−妻籠宿−国指定重要文化財
・ 福島関所跡(日本四大関所の1つ)−福島宿−国指定史跡
・ 妻籠宿から馬籠宿の間一部(石畳)区間−国指定史跡

木曽路・八景
・ 徳音寺の晩鐘−徳音寺は木曽義仲の菩提寺−宮ノ越宿
・ 駒 ヶ岳の夕照−駒ヶ岳連峰
・ 御嶽の暮雪−御嶽山は信仰の山として知られ登拝者で賑わった
・ 桟の朝霞−木曽の桟は木曽路(中山道)の難所と知られた−上松宿
・ 寝覚めの夜雨−寝覚めの床は浦島太郎伝説が伝わる景勝地−上松宿
・ 風越の晴嵐−風越山、往時は全体が草山で新緑時には黄緑色に染まった
・ 小野の瀑布−中仙道六十三次に描かれた景勝地
・ 与川の秋月−与川古典庵から眺めた仲秋の名月

木曽路・100選
・ 日本遺産・百選(シンクタンクせとうち総合研究機構)−木曽
・ 歴史の道百選(文化庁)-中山道(信濃路:楢川村・木祖村・南木曽町・山口村)
・ 美しい日本の歴史的風土100選(古都保存財団)-妻籠宿・奈良井宿・寝覚の床
・ 平成百景(読売新聞)−妻籠宿・馬籠宿
・ 日本の秘境百選(JTB)−木曽路
・ ヘリテージング100選(毎日新聞)−読書発電所・桃介橋・柿其水路橋
・ 水の郷百選(国土交通省)-木曽川と中乗りさんを愛する人々の住む町(木曽町)
・ ふるさといきものの里百選(環境省)−大妻籠花菖蒲園(南木曽町)
・ 日本百名橋(松村博)−桃介橋
・ 日本の百名峠(井出孫六)−鳥居峠・馬籠峠
・ 遊歩百選(読売新聞大阪本社)−中山道(長野県・南木曽町)

木曽路:歴史・伝承・伝説・民話・昔話

伝説名
場所
伝説の内容
玄蕃之丞贄川宿大名行列に化けて騙したが策に嵌り捕まった。
うなり石奈良井宿専念寺の前の大石は毎晩「う-う-」と唸り声を挙げた。
義仲の硯水鳥居峠義仲挙兵の際に願書を認め御嶽山へ奉納した。
子産みの栃鳥居峠泣止ない子供に対して栃の木に捨てるぞと威された。
お六櫛藪原宿御嶽山の御告げにより製作されたミネバリの櫛。
田上観音堂田上観音堂飛騨の旅僧が置いて行った行基菩薩の仏像。
権兵衛伝説権兵衛街道権兵衛街道を開削した怪力だった権兵衛の逸話。
巴渕宮ノ越宿竜神の化身が巴御前に姿を変え木曽義仲を守った。
蛻庵稲荷福島宿狐が小僧に姿を変え、興禅寺の住職に仕えた。
山村稲荷福島宿「おまっしゃさま」と呼ばれる狐が樵の歌を歌った。
白川阿古多丸木曽町板敷野奥州を目指した白川阿古多丸がこの地で亡くなった。
浦島太郎寝覚の床昔話、浦島太郎のその後の物語。
三帰翁上松宿・見帰木曽山中に住んでいた仙人が不老薬を人に与えた。
木曽の桟上松宿義仲の間違いにより名馬が谷底に落ち亡くなった。
姫宮伝説上松町・小川以仁王の娘である姫宮は上松に隠れ住んだと伝えられています。
岩出観音須原宿馬の沓の代金の代わりに貰った馬頭観世音の木片が光輝いた。
定勝寺の化猫須原宿虎のような大きくなった猫の恩返し。
ふりそで乃松三留野宿義仲が弓を射るのに邪魔な松を巴御膳が袖を振り薙ぎ切った。
兜観音三留野宿義仲縁の兜観音に戦勝祈願し妻籠城の戦いで勝利。
鯉岩妻籠宿妻籠城の武将が鯉岩で恋の物語を囁いたという。
倉科様男滝・女滝女滝の滝壺に金色に輝く鶏が入水し姿を消した。

木曽路と関係が深い歴史的人物

人 物 名
備 考
木曽義仲・源義賢の2男、源頼朝、義経とは従兄弟にあたる人物。幼少時に中原兼遠に預けられた。
巴御前・中原兼遠の娘で、木曽義仲の愛妾、一軍の大将として数々の功績を挙げたとされる人物。
中原兼遠・義仲の養父で、巴御前の父親とされる人物。菩提寺である林昌寺に供養塔があります。
以仁王・後白河天皇の第3皇子。「以仁王の令旨」を発布。隠遁地と伝わる地が木曽にある。
木曽義元・名前に「義」の字を入れた人物。永正元年に三木氏に敗れ、その傷が原因で死去。
木曽義在・領地の版図を広げ、領内の充実を図った。木曽路の原型となる街道と宿場町を整備。
木曽義康・福島城の築城、鳥居峠で武田方を破るもその後従属し、武田家の親族衆となっています。
木曽義昌・武田家から織田家、北条家、徳川家、羽柴家(豊臣家)、徳川家と主家を変えた。
真理姫・武田信玄の姫娘。木曽義昌の正室。木曽家没落後は旧三岳村に隠遁し没した。
石川貞清・犬山城の城主、木曽谷の太閤蔵入地の代官、妻籠宿を拠点に木曽産の木材を管理。
山村良勝・木曽家の家臣でしたが、改易後に徳川家に従い、関ヶ原の戦いの功で木曽代官に就任。
細川幽斎・戦国時代の武将、歌人、文化人。木曽路を訪れ小野の滝や寝覚め床を評しています。
松尾芭蕉・松尾芭蕉は木曽路を2度訪れており、その内1つは「更科紀行」で記載されています。
貝原益軒・貝原益軒が木曽路を旅したのは貞享2年の事で、「岐蘇路記」に纏められています。
菅江真澄・菅江真澄が木曽路を訪れたのは天明2年の事で「寝覚め床」の事を後年語っています。
島崎藤村・馬籠宿本陣職島崎家出身。木曽路を舞台に多くの作品を残した。日本を代表する文豪。
正岡子規・正岡子規が木曽路を旅したのは明治24年で「かけはしの記」にまとめ発表しています。
種田山頭火・種田山頭火は自由律俳句の代表的な俳人。昭和14年に木曽路を旅した。
幸田露伴・木曽路の須原宿で宿泊した際に出世作である「風流仏」の製作に結びついたとされます。

中山道(信州路)
中山道
贄川宿
中山道
木曽平沢
中山道
奈良井宿
中山道
藪原宿
中山道
宮ノ越宿
中山道
福島宿
中山道
上松宿
中山道
須原宿
中山道
野尻宿
中山道
三留野宿
中山道
妻籠宿
中山道
大妻籠
中山道
馬籠宿
中山道
中山道(美濃路)

木曽路:古民家

深沢家住宅・贄川宿深沢家住宅
・深沢家住宅は木曽路(中山道)の宿場町である贄川宿にある江戸時代後期の町屋建築です。深沢家は贄川宿を代表する豪商だった家柄で京都や大坂など上方にも販路を広げました。国指定重要文化財に指定されています。
手塚家住宅・奈良井宿手塚家住宅
・手塚家住宅は木曽路(中山道)の宿場町である奈良井宿にある江戸時代後期の大型町屋建築です。手塚家は奈良井宿の上問屋、庄屋を歴任した家柄で、明治天皇の御小休所。国指定重要文化財に指定されています。
中村邸・奈良井宿中村邸
・中村邸は木曽路(中山道)の宿場町である奈良井宿にある江戸時代後期の典型的な町屋建築です。中村家は代々櫛問屋を営んでいた家柄で、奈良井宿の町並み保存の原点とされます。塩尻市指定文化財に指定されています。
徳利屋(原家)・奈良井宿徳利屋(原家)
・原家住宅は木曽路(中山道)の宿場町である奈良井宿にある江戸時代後期の町屋(旅籠)建築です。原家は屋号「徳利屋」を掲げた奈良井宿有数の豪商で、木曽代官山村家御用達商人、脇本陣でもありました。塩尻市指定文化財。
脇本陣奥屋・妻籠宿脇本陣奥屋(林家)
・林家住宅は木曽路(中山道)の宿場町である妻籠宿にある明治時代初期の近代和風建築です。林家は江戸時代に妻籠宿の脇本陣職、問屋を歴任した家柄で、明治時代に解禁された木曽ヒノキをふんだんに使用。国指定重要文化財。
旧熊谷家住宅・妻籠宿旧熊谷家住宅
・熊谷家住宅は木曽路(中山道)の宿場町である妻籠宿にある江戸時代後期の長屋建築の遺構です。長屋として建てられたものを、別区画だった右半分と左半分を合わせて1戸にして改築された当時の庶民の邸宅。南木曽町指定文化財。
旧上嵯峨屋・妻籠宿旧上嵯峨屋
・上嵯峨屋は木曽路(中山道)の宿場町である妻籠宿にある江戸時代中期の旅籠(本賃宿)建築の遺構です。上嵯峨屋は本賃宿だった為、一般的な旅籠建築よりも間取りが単純で意匠も質素な造りとなっています。南木曽町指定文化財。
旧下嵯峨屋・妻籠宿旧下嵯峨屋
・旧下嵯峨屋は木曽路(中山道)の宿場町である妻籠宿にある江戸時代中期の長屋建築の遺構です。長屋として建てられたものを1戸にして改築、並列二間取の形式、当時としては珍しい柱に桧材を使用。南木曽町指定文化財。
清水屋清水屋
・清水屋は木曽路(中山道)の宿場町である馬籠宿にある明治時代の町屋建築の遺構です。原家は屋号「清水屋」を掲げ組頭などの役人を歴任した家柄で、島崎藤村とも関係が深かったとされます。国登録有形文化財。


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