極楽寺(木祖村薮原)

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概要・歴史・観光・見所
極楽寺(藪原宿・木祖村)概要: 法城山極楽寺は長野県木曽郡木祖村薮原に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。極楽寺の創建は室町時代末期(戦国時代)に当時の領主古畑十右ェ門正貫が茂林和尚を招いて開かれたのが始まりとされます。当初は大龍山禅林寺と号し倉籠の地(木曽川西岸)にありましたが、境内地は木曽川に近い事から水害が多く、度々当寺も被害を受けた為、上町裏に境内を遷し「水を去って土と成す」との理由から寺号を法城山極楽寺に改めています。寛文2年(1662)、藪原宿の大火に類焼し堂宇、記録、寺宝が焼失、これを機に寛文4年(1664)に中町裏に移り、さらに貞享3年(1689)に寺島勘右ェ門(古畑氏の後裔で藪原宿本陣家)から現在地である境内地の寄進を受け、元禄4年(1691)に堂宇の再建が成されました。明治6年(1873)に境内に藪原学校が置かれ、その後、アララギ派の歌人達が修養の為に極楽寺に集まるようになり、観音堂が改築された際には格天井の絵画を藤田嗣治が担当しています。本堂に隣接する霊廟には藪原宿の伝統工芸品として名を馳せた「お六櫛」の祖とされる「お六」の位牌が安置されています。

案内板によると「 この寺は元亀・天正年間(1570〜1592)倉籠の地に創立され大龍山禅林寺と称しのちに法城山極楽寺と改称した。現在の本堂は元禄4年(1691)大工牛丸善右衛門ら5名の手により建立された。入母屋造り茅葺であった。昭和17年大改修がなされた。」とあります。

現在の極楽寺本堂は元禄4年(1691)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、平入、桟瓦葺(元茅葺)、桁行17.27m(9間半)、梁間16.40m(9間)、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、棟梁は牛丸善右衛門を中心に牛丸助七郎 上村冶右衛門 奥屋長左衛門 牛丸彦三郎、江戸時代中期の寺院本堂建築の遺構として貴重な事から棟札1枚と共に昭和61年(1986)に木祖村有形文化財に指定されています。山門は、元禄11年(1698)に造営されたもので、切妻、銅板葺、三間一戸、桁行3.28m、梁間2.11m、四脚門、棟梁は牛丸善太郎、江戸時代中期に建てられた寺院山門建築の遺構として貴重なことから棟札1枚と共に昭和61年(1986)に木祖村有形文化財に指定されています。又、極楽寺が管理する田ノ上観音堂(木曽三十三番札所)は安永5年(1776)に建立された桁行4.84m、梁間3.75m、寄棟造、茅葺の建物で木祖村指定有形文化財に指定されています。山号:法城山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来(脇侍:迦葉尊者・阿難尊者)。

極楽寺:写真

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