防火高塀(木祖村薮原)

  長野県:歴史・観光・見所木曽路(中山道)藪原宿>防火高塀

概要・歴史・観光・見所
防火高塀(藪原宿・木祖村)概要: 藪原宿は木曽川に面していた事から度々水害に見舞われ、防火高塀一方火事の多い町でもありました。宿場全体が焼失した火災は合計4回で、寛文2年(1662)の火災では極楽寺も焼失の憂いとなっています。特にに酷かったのが元禄8年(1695)のもので、7月14日の夕方に藪原宿の下町西側お寺門屋敷付近が火元となり、宿場の大部分が被害となる大火災となりました。当時の町屋建築は、壁から屋根まで燃え易い木造で、さらに敷地間口一杯に建物が建てられていた事から、1軒の火事でも隣家に延焼する可能性が非常に高い為、それを防止するには、ある一定区間毎に火除け地と呼ばれる空間を設ける必要性がありました。藪原宿では宿場を改めて町割する際に、焼失前の敷地間口1間につき1寸を提供するという約束事を取り決め上横水と下横水の2箇所に四辻の広小路、所謂「火除け地」を設ける事で一定以上の延焼を防ぐ計画を立てました。

しかし、文化年間(1804〜1818年)に再び大火災が発生し大きな被害を受けたことで、上横水の広小路の北側に土塁を築いて石垣で囲い、その上に土壁の防火高塀を建てる事で、より効果的に延焼を防ぐ施設(高塀)を設け「高塀」と呼びました。現在は土塀部分が失われ、一部の土塁と石垣のみですが、江戸時代の防火施設の遺構として貴重な存在です。当時の防火施設は基本的に個々の町屋にウダツや袖壁、外壁の仕上げを白漆喰にするなど限られ、町全体に見ても火除け地を設けるのがせいぜいでしたが、藪原宿で見られる「防火高塀」のような施設があるは大変珍しい事例となっています(新潟県阿賀野市安田町:火除土手、阿賀野市指定史跡など)。

防火高塀:写真

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