松島宿(三州街道)概要: 松島宿は三州街道(伊那街道)と平出、諏訪へと抜ける岡谷道(諏訪道)との分岐点として発展した宿場町で、本陣は設置されませんでしたが問屋場などが設けられました。
追分には住民達の願いにより寛延2年(1749)に「右 すハみち 左 まつもと道」と刻まみ込まれている道標(自然石、高さ140cm、幅90cm、厚35cm:箕輪町指定文化財)が建立されます。
中世は松島氏の居城である松島城が築かれその城下町だったことから松島神社や南宮神社、明音寺、嶺頭院などの古社寺が点在しています。
幕末には水戸藩(茨城県水戸市)の浪士で結成された天狗党が高島藩(藩庁:高島城)や高遠藩(藩庁:高遠城)と戦いを繰り返しながら京を目指し、元治元年(1864)11月20日に松島宿の旅籠屋七郎右衛門宅を本陣として本隊が宿泊に利用しています。
松島宿では戦闘が行われなかったものの、軍用金を献金という名目で金銭が取立てられ、人夫として10人以上が連れ去られたと伝えられています。
三州街道(伊那街道・中馬街道):宿場町・再生リスト
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