小谷村: 千国宿

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概要・歴史・観光・見所

千国宿(小谷村)概要: 千国宿は糸魚川街道(千国街道:塩の道)と善光寺道が交差する交通の要衝で栄えた集落です。江戸時代に入った慶長年間(1596〜1614年)に松本藩(長野県松本市:本城−松本城)が番所を設置し人物改めや塩や海産物などの荷改め、運上塩(通行税)の徴収などを行い重要視されました。

御盆と年末の時期には市場が立ち周辺地域から数多くの人が集まり、中心的な役割をもっていた集落だったと思われますが、所謂町屋建築や旅籠建築が軒を連ねるような町並みではなく、半農半宿で農家建築が目立つ宿場町です。近代に入り主要道から外れた為、旧景観が比較的残っており枡形などの町割り見受けられます。現在集落の中心部近くに千国番所が復元され資料館となっています。

千国諏訪神社概要: 千国諏訪神社(北安曇郡小谷村千国乙)の創建は天長5年(828)に諏訪大社(信濃国一宮)の分霊を勧請されたのが始まりと伝えられています。千国諏訪神社千国地区14ヵ村の氏神として信仰されてきました。毎年9月に行われる例祭(ささらすり)では巫女や獅子舞と共にひょっとこの面をかぶり赤襦袢を着こんだ「ささら男」が男性器を模ったささら(酒造りの道具)を持ち歩く小谷の奇祭と呼ばれています。拝殿は入母屋、鉄板葺、唐破風向拝付、本殿は寛政12年(1800)に再建されたもので一間社流造、棟梁は大隅流の浅川豊八が手掛けたそうです。祭神:建御名方命、八坂刀売命、索盞男命、伊弉冉命。

千国番所概要: 千国番所の創設の詳細は不詳ですが慶長年間(1596〜1614年)のには既に存在していたと思われています。千国番所この地は糸魚川街道(千国街道:塩の道)と善光寺道が交差する交通の要衝であった為、松本藩でも重要視した番所の1つで、当初は庄屋である千国三左衛門家と栗田五左衛門家がその任に当たっていましたが次第に藩士が派遣されるようになりました。善光寺道の街道沿いには国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている青鬼集落や、戸隠神社善光寺などがあった為、参拝者や商人の往来がありました。番所では番役人の他に番卒2名を配し、刀や槍、銃などが整備され人物改めや塩や海産物などの荷改め、運上塩(通行税)の徴収などが行われました。明治時代に入り街道制度が廃止になると明治2年(1870)に番所も廃されました。

千国街道(塩の道:松本街道・糸魚川街道):宿場町・再生リスト

千国宿:町並み・写真

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