妻籠宿(木曽路)・下嵯峨屋

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妻籠宿(木曽路)・下嵯峨屋

【 概 要 】下嵯峨屋(長野県木曽郡南木曽町)は江戸時代中期に三軒長屋妻籠宿(木曽路)・下嵯峨屋として建てられた建物で、昭和43年(1968)に解体した際に旧材を利用しながら、3軒中の1軒分を復元しました。現在の下嵯峨屋は木造平屋建、切妻、板葺石置き、桁行3間(約5.46m)、梁間5間(約9.1m)、平入、大屋根の軒は低く、庇を大きく前に出し椀木によって支えられ、外壁は真壁造り土壁、内壁も略外壁と同じような仕上げで天井が無く、構造材がむき出しになっています。開口部は開口部はしとみ戸、出入口は大戸、基礎は土間に直接土台を廻し、その上に床を組上げています。上嵯峨屋と比べると、一見同じように見えますが、仕上げや、間取り、工法など明らかに質素な造りで、上嵯峨屋は本賃宿として利用されている事から下屋庇の幕板や、内壁の板張、外部正面の格子戸、壁の鏝仕上げなどが施され、基礎も土間の上に玉石を敷いてから土台を廻しているのに対し下嵯峨屋では意匠的なものは殆ど感じられず工法もより質素なものが採用されています。

ただし、下嵯峨屋の柱には木曽ヒノキを利用しているが例外で、江戸時代には身分によって工法や利用出来る材種などが厳しく制限され、妻籠宿(木曽路)・下嵯峨屋特に尾張藩(愛知県名古屋市:本城−名古屋城)では一般庶民の木曽ヒノキの利用は禁止されていた為、極めて異例な事例とされます。間取りは並列二間取の形式で、向って左側が街道から敷地奥を土間で結ぶ通り庭で、右側は正面から板間12畳(囲炉裏付)、畳敷き8畳間の2間しかなく、湯殿は無く、雪隠は外部に設けられていたと思われます。下嵯峨屋は江戸時代中期の妻籠宿における庶民の住居(小規模町屋建築)を代表する遺構として貴重な事から、昭和49年(1974)に南木曽町指定有形文化財に指定されています。現在は南木曽町が所有し一般公開され内部見学できます。

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