小諸市(歴史)概要: 小諸市は古くから開けていた地域での西近津遺跡からは奈良時代に作られた「美濃国」や「郡」と刻印された須恵器が見つかり、当時の小諸市には郡役所があり朝廷とも関係が深かったと考えられています。
平安時代後期になると木曽義仲の家臣である、小室太郎光兼が領主になり南北朝時代まで代々小室氏が周辺を支配します。戦国時代になると大井氏の支配下となり武田氏の佐久攻略により本拠であった岩田村から小諸城に移しましたが天文23年に武田信玄により攻略され信濃攻略の拠点にしました。
武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移り、天正18年(1590)に豊臣秀吉の家臣仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられると現在の小諸市に見られる城郭や城下町の整備が行われます。
江戸時代に入り北国街道(善光寺街道)が開削されると小諸宿が開かれ、城下町には本陣や脇本陣、旅籠などが設けられられました。
北国街道は加賀藩など北陸諸侯の参勤交代のルートだけでなく佐渡金山で採掘された鉱物を江戸までの運搬や、善光寺に参拝する信者や行楽者などで多くの人達が利用した事で大いに賑いました。
小諸藩の藩主は元禄15年(1702)に牧野康重が着任以降は牧野氏が歴代世襲したことで藩政も安定し明治維新を迎えています。明治時代以降も周辺の中心地として発展し、特に養蚕や製糸業では大きな生産量を上げました。
当地は小諸城の城下町である共に、北国街道の宿場町でもあり多くの旅籠や商家などの町屋建築が軒を連ねていました。現在でも良好な町並みとまではいけませんが「小林金吾商店」、「油権:竹内木材」、「粂屋:旧脇本陣」、「山謙酒店」、「旧角大塚」、「ご馳走屋 火付盗賊」、「大塚本店」、「塩川五右衛門」、「ほんまち町屋館」、「大和屋紙店」、「そば七」、「萬屋骨董店:旧小諸銀行」、「大塚味噌醤油点」、「ギャラリーつたや」、「柳茂商店」、「酢久商店」、「嶋田屋」、「山崎長兵衛商店」など多くの町屋家建築が残されています。
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