別所温泉:歴史・観光・写真

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別所温泉(上田市・観光・歴史):概要 別所温泉の歴史は古く日本武尊別所温泉が東夷東征の際、多くの兵士が傷つき困っていると、仙人の化身と思われる1人の古老が現れ効能の異なる7つの源泉の場所を告げたとされ、その源泉を浴びると瞬く間に傷が癒えたと伝えられています。

日本武尊は碓井峠を通過したなら現在の海野宿(長野県東御市海野・鎮守である白鳥神社には伝説有)を経由して上田市に到り、鳥居峠を越えたのならば旧真田町山家神社や竹室神社、御座石など伝説が点在)を経由して上田市に到ったと思われます。どちらの経路にも日本武尊の伝承や史跡が点在している為、真偽は判りませんが、上田市からは、現在の松本市とを結ぶ近世でいう保福寺街道の経路に近い東山道を利用しようとしたと思われます。理由は判りませんが結果的に断念し、大きく迂回して近世でいう善光寺西街道(北国西街道・北国西脇往還)の経路に近い東山道を選択していますが、別所温泉(長野県上田市)は保福寺街道の街道沿いでは無いものの、大きく外れていない事から、日本武尊の開湯伝説が全く荒唐無稽では無い事が判ります。

所温泉に伝わる伝承によると、日本武尊は東山道を西上し保福寺峠に差し掛かると急に霧か立ち込め、一人の老人が出現し、このまま進軍してはいけない。峠から少し離れた場所に七つの苦を助ける湯があるから、そこで兵を休ませ一考してはどうか、と告げ姿を消しました。日本武尊は御告げに従い山中を探すと七つの効能の異なる温泉を見つけ兵の傷を癒したと伝えられています。この伝説が正しければ、保福寺峠まで進んだものの行くてが阻まれ迂回したとも考えられます。ただし、保福寺峠手前の青木村や、反対側の松本市には伝承や史跡が点在していない事から、元々この東山道は利用する予定が無かったとも考えられ、最初から別所温泉の湯治が目的かも知れません。何れにしても上記の伝説から、別所温泉は「七苦難の湯」と呼ばれ、それが転じて「ななくりの湯」とも呼ばれたようです。

古事記や日本書紀をある程度信じれば、日本武尊は2世紀に存在した事になりますが、2世紀に東山道が開削されていたかといえば、中々難しい話となります。信濃国が成立した当初は上田市付近に国府が設けられ、国府と中央とを結ぶ街道として整備されたのが東山道である事を想定すると、早くとも6〜7世紀位が妥当と思われます。別所の地名の由来には諸説あり、平安時代に平維茂が信濃守時代に別荘を設けたとも、鎌倉時代に塩田北条氏が別荘を設けたとも、朝廷が俘囚を捕縛した際に収監した別地(所)だったとも云われています。

古来の別所温泉は"七久里の湯"と称し平安時代中期に清少納言により執筆された枕草子にも記されているほど広く知られている存在で、天長2年(825)には慈覚大師が北向観音堂建立にあたり好んで入浴したとの伝承も残っています(枕草子には七久里の湯(別所温泉)・有馬の湯・玉造の湯を三名泉としています。※別所温泉では七久里の湯は日本武尊が東夷東征の際、現在地に七箇所の源泉を発見し「七苦離の湯」と名付けたとされ、承久の乱(1221年)頃、順徳天皇により編纂された歌論書「八雲御抄」では信濃御湯と七久里の湯は同義であると記されていますが、一般的には三重県津市榊原町にある榊原温泉の旧名である「七栗の湯」を指しているとされます)。

平安時代に入ると当地にも仏教の伝来が成され、伝承の域を出ないものの、天台宗の高僧として知られる慈覚大師円仁が来訪し北向観音堂を創建したと伝えられています。平安時代末期には木曽義仲が兵士の傷を癒す為に別所温泉を利用したとされ、葵御前(義仲に仕えた女武将)の為に湯屋を設けたのが現在の大湯の由来になっています。鎌倉時代に入ると塩田北条氏に庇護されたと考えられ安楽寺(国宝:八角三重塔)や常楽寺(北向観音)の堂宇の造営などを行う一方で地名である別所は別荘にも通じるものがあり塩田北条氏の別荘地として別所温泉の開発にも力を入れていたのかも知れません。その甲斐あってか鎌倉時代の別所温泉は信濃御湯として、名取御湯(宮城県秋保温泉)、犬養御湯(長野県野沢温泉)又は三函御湯(福島県いわき湯本温泉)とともに三御湯に数えられるほどの名声を得ています。江戸時代には上田藩(藩庁:上田城)が庇護し石湯・大師湯・大湯・長命湯(玄斉湯)・久我湯などの共同温泉が賑ったとされ、江戸時代後期に製作された温泉番付である諸国温泉功能鑑では「信州別所ノ湯」として前頭に格付けされ、当時から広く知られていました。又、楽地的な要素と同時に北向観音や安楽寺などの信仰の霊場としての要素があり多く現在でも別所温泉には多くの古寺が存在するところから「信州の鎌倉」との異名があります。別所温泉の温泉街には木曾義仲縁の大湯や慈覚大師縁の大師湯、真田幸村縁の石湯の3軒の共同温泉があり多くの観光客や湯治客で活気を呈しています。

【塩田平・信州の鎌倉】−別所温泉がある地域は古くから塩田平と呼ばれ、鎌倉時代中期には執権北条家一族が配され、塩田北条氏として大きな影響力を行使して当地域の開発に尽力しています。特に別所温泉の温泉街では安楽寺(八角三重塔は北条義政が創建)や常楽寺(北条国時が鎌倉出陣前に自ら彫刻したと伝えられる自肖像を安置)、北向観音(北条国時が堂宇を再建)などが整備され、安楽寺の八角三重塔は国宝に指定され、北向観音は善光寺(長野県長野市)と共に広く信者を集め両寺を参らなければ片参りと言われ数多くの参拝者が訪れました。相対的に別所温泉に湯治をする人も多くなり温泉街としても発展し「信州の鎌倉」と呼ばれるようになっています。

別所温泉効能: 慢性皮膚病、慢性婦人病、切傷、糖尿病など。
別所温泉泉質: 単純硫黄温泉(低張性アルカリ性高温泉)



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安楽寺
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真田湯
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七苦難地蔵尊堂
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