長野市松代町(歴史)概要: 松代町の歴史は古く、信濃国にある勅使牧の1つ大室牧があった地域で当時から朝廷と密接な繋がりがあったと思われます。大室牧には多くの朝鮮人が関わっていたと考えられ松代町には朝鮮式の古墳と思われる積石塚や合掌形石室が約500基程集中し日本国内でも特異な地域とされています(大室古墳群:国指定史跡)。中世の松代町は大室氏や清野氏、東条氏、寺尾氏などの地方豪族が割拠し時流によって小笠原氏や武田氏、上杉氏などの大名に従うことで家名を存続させ、戦国時代末期上杉景勝が鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封すると随行しこの地を去っています。
江戸時代に入ると森忠政が13万7千石で川中島藩を立藩し、慶長8年(1603)からは松平忠輝が入封し元和2年(1616)まで領主となります(慶長15年からは高田藩の分領)。その後、松平忠昌が12万石で入封し藩庁を松代城に変え松代藩を立藩、元和5年(1619)からは酒井忠勝(10万石)と福島正則(2万石)と岩城貞隆(1万石)、元和8年(1622)からは真田信之が13万石(明暦4年に沼田に3万石分地)で入封した後は歴代真田家が藩主となり明治維新を迎えています。その間、水害や大火、善光寺地震など災害で藩政は逼迫し「田村騒動」と呼ばれる一揆が発生、反面、藩校「文学館」を開くなど人材育成に力を入れ佐久間象山などを輩出し、戊辰戦争の際も逸早く新政府側に付くなど先見性に長けていたとされます。
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