霊閑寺(中野市)概要: 霊閑寺の創建は正中元年(1324)無相大師が父親である高梨高家(居城:高梨氏館)の菩提を弔う為開山したのが始まりと伝えられています。高梨家は中世、高井郡や水内郡を支配した豪族だった為、霊閑寺もその庇護にあったと見られ境内は16000坪という広大なものだったそうです。戦国時代に入ると高梨家は上杉家に従属するようになり永禄4年(1561)に起こった川中島の戦いにも参陣、霊閑寺は兵火により焼失し以後廃寺となりました。霊閑寺を開山した無相大師(関山国師)は後に臨済宗妙心寺派の開祖となった人物で、生誕地である現在の境内は妙心寺派にとって京都妙心寺、岐阜県正眼寺とともに三大霊地のひとつに数えられていました。昭和13年(1937)に大師の遺徳を偲び現在地に霊閑寺を再興。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:聖観世音菩薩。
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
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