大町市(歴史)概要: 大町市周辺は永承3年(1048)以降、伊勢神宮の御領である「仁科御厨」と呼ばれる荘園でした。仁科御厨には仁科氏(出生には諸説あり奥州の支配者だった安倍氏や平家、安曇氏の後裔とも言われています。)が管理支配し、以後、戦国時代末期まで大町市周辺に大変大きな影響力を持ちました。仁科氏は現在の大町市中心部にあった天正寺館を居館として領土経営を行い、仁科神明宮や若一王子神社、盛蓮寺、霊松寺、天正寺といった神社、仏閣などの創建や社殿、堂宇の造営などに力を入れ地方豪族ながら独自の文化圏を形成していきました。正当な仁科家は盛政が武田信玄に忙殺された事で途絶え、名跡を継ぐ形で信玄の5男晴清が仁科を名乗りますが天正10年(1582)にその晴清も高遠城で討死しています。
その後は小笠原氏が大町市周辺を支配下とし江戸時代には松本藩の領域となります。大町市の中心部は大きな行政機関は設けられませんでしたが松本城下と糸魚川を結ぶ千国街道の宿場町として経済的に発展し市場町になった事で周辺地域の中心的な立場となりました。
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