大町市: 若一王子神社

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)大町市:歴史・観光・見所>若一王子神社
大町市・観光・見所
 ・ 若一王子神社
 ・ 仁科神社
 ・ 仁科神明宮
 ・ 安部神社
 ・ 盛蓮寺
 ・ 霊松寺
 ・ 旧中村家住宅
 ・ 平林家住宅
 ・ 仁科城(森城)
 ・ 青木湖
 ・ 中綱湖
 ・ 木崎湖
 ・ 千国街道
 ・ 
長野県の見所
 ・ 大法寺
 ・ 安楽寺
 ・ 善光寺
 ・ 松本城
 ・ 諏訪大社上社本宮
 ・ 中山道(木曽路)
 ・ 中山道(信濃路)
 ・ 新海三社神社
 ・ 小菅神社
 ・ 穂高神社
 ・ 熱田神社
 ・ 小野神社
 ・ 武水別神社
 ・ 矢彦神社
 ・ 生島足島神社
 ・ 戸隠神社
 ・ 別所温泉
 ・ 野沢温泉
 ・ 渋温泉
 ・ 皆神神社
 ・ 中禅寺
 ・ 布引観音
 ・ 信濃国分寺
 ・ 前山寺
 ・ 三州街道
 ・ 貞祥寺
 ・ 北向観音
 ・ 元善光寺
 ・ 小諸城
 ・ 上田城
 ・ 松代城
 ・ 高遠城
 ・ 龍岡城五稜郭
 ・ 善光寺西街道
 ・ 青鬼集落
 ・ 浅間温泉
 ・ 寝覚の床
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
概要・歴史・観光・見所
若一王子神社(大町市)概要: 若一王子神社の創建は不詳ですが社伝によると垂仁天皇の御代鳥居(紀元前29年〜西暦70年)に当時の領主仁品王が伊弉冉尊の分霊を勧請したのが始まりとされ、「仁科濫觴記」によると仁品王は崇神天皇(第10代天皇)の末の太子、垂仁天皇(第11代天皇)の弟にあたる人物で、当地に配された後は安曇野地方の開発に尽力したとされます。一方、若一王子神社の奥宮が蓮華岳(標高:2799m)の山頂に鎮座し、大町から眺める山姿や、名称、遥拝所と思われる環状列石の存在などから、蓮華岳を崇める素朴な自然崇拝が信仰の源になったと思われます。その後、仁品王の後裔とされる仁科氏が領主になり、嘉承2年(849)に祖神である仁品王とその后である妹耶姫の分霊を勧請合祀し、さらに鎌倉時代の承久2年(1220)には仁科盛遠が熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)から若一王子神の分霊を勧請し若一王子の宮と呼ばれるようになりました。さらに、承久3年(1221)の承久の乱の際、後鳥羽上皇の信任を得た盛遠が若一王子神社に武運長久の祈願の為に流鏑馬を奉納し、これが現在も継承されている流鏑馬神事の起源となっています。

若一王子神社は中世、穂高神社安曇野市)、仁科神明宮(大町市)とともに三重塔仁科三大社に数えられ、特に仁科氏の崇敬社として篤い庇護を受け、特に永和3年(1377)には仁科盛国が本殿を再建し、弘治2年(1556)には仁科盛康が社殿の再建がされています。戦国時代末期の永禄4年(1561)、盛康の跡を継いだ仁科盛政は第四次川中島の戦いの折、武田信玄に与し佐久地方で転戦していると、居城である森城の居残り部隊が上杉謙信に転じた為、武田家から攻められ殺害、これにより仁科家の嫡流は断絶しています。天正10年(1582)、仁科家の名跡を継いだ武田信玄の5男仁科盛信が織田信長の信濃侵攻により高遠城で自刃すると仁科氏は滅び庇護者を失いますが、江戸時代に入ると松本藩(藩庁:松本城)から庇護され承応3年(1654)には藩主水野出羽守の命で大町村出身の宮大工金原周防によって本殿の大改修が行われ、明暦元年(1655)には幕府神領として2石5斗4合を賜っています。若一王子神社は古くから神仏混合の形態を維持し明治時代初頭に発令された神仏分離令により宗教的には仏式が排されましたが境内には観音堂三重塔が残され社宝として十一面観音坐像御正体残闕や十一面観音立像を所有するなど現在も当時の姿を色濃く見せています。神仏分離後は社号を「若一王子権現」から「若一王子神社」に改め、明治5年(1872)に村社、大正13年(1924)に郷社、昭和6年(1931)に県社に昭和51年(1976)には別表神社(旧官国幣社格)列しています。祭神:若一王子、天照大神、伊弉冉尊、仁品王、妹耶姫。仁科33番観音霊場第1番札所。

現在の若一王子神社本殿は弘治2年(1556)に仁科盛康の寄進によって再建されたもので一間社、観音堂隅木入春日造、檜皮葺、室町時代末期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重な存在で昭和30年(1955)に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。三重塔は木食古信法阿の発願で江戸時代中期の宝永8年(1711)に建てられたもので、宝形屋根、こけら葺、三間三重塔婆、桁行4.2m、梁間4.2m、高さ20.21m、華美な意匠は少ないものの、蟇股には十二支の彫刻が施され、内部の須弥壇には金剛界五仏が安置、長野県内で神社の境内に三重塔があるのは当社と、新海三社神社(長野県佐久市)の2社しななく貴重な事から昭和41年(1966)に長野県の県宝に指定されています。若一王子神社観音堂は江戸時代中期の宝永3年(1706)に造営されたもので、宝形造、茅葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、内部には彩色、彩画が施され、同時期に制作された宮殿(入母屋、妻入、板葺、桁行1間、梁間1間)が設置、平成23年(2011)に長野県の県宝に指定されています。さらに、若一王子神社社叢が長野県指定天然記念物に境内社である八坂神社の旧神輿が大町市指定有形文化財にそれぞれ指定されています。

若一王子神社の文化財
・ 本殿−弘治2年−一間社、隅木入春日造、檜皮葺−国指定重要文化財
・ 三重塔−宝永8年−高さ20.21m、宝形、こけら葺、方三間−長野県県宝
・ 十一面観音坐像御正体残闕−銅造、像高18.5cm−長野県県宝
・ 流鏑馬−承久3年以降、日本三大流鏑馬−長野県指定無形民俗文化財
・ 若一王子神社社叢−22867u−長野県指定天然気炎物
・ 観音堂及厨子(宮殿)−宝永3年−宝形造、茅葺、方三間−長野県県宝
・ 十一面観音立像−桧材、一木造、像高役180cm−大町市指定文化財
八坂神社の旧神輿−江戸中期−一間社、高さ155cm−大町市指定文化財

若一王子神社
鳥居 三重塔 境内 本殿
観音堂 拝殿 八坂神社 境内社
長野県(ホーム)

 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「長野県:歴史・観光・見所>大町市>若一王子神社」は「郷土資料辞典 長野県」、「長野県の歴史」「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」を参考にさせていただいています。