海禅寺(上田市)概要: 大智山金剛院海禅寺は長野県上田市中央北2丁目に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。海禅寺の創建は900年代、真田氏の祖とされる貞元親王(清和天皇の第三皇子)が開いたのが始まりと伝えられています。同じく真田氏の祖先される滋野氏や、滋野氏の後裔とされる海野氏から庇護され寺運が隆盛し、天文17年(1548)の上田原の戦いで村上義清に勝利し武田信玄が小県郡を平定した際も生島足島神社と海禅寺に逸早く願文を奉納し(生島足島神社に奉納された願文は国指定重要文化財に指定されています)、大破した堂宇を再建しています。
当初は開善寺と称し現在の東御市にありましたが(地名に海善寺という地域があり以前、海禅寺があった場所と推定されています)、天正11年(1583)に真田昌幸が上田城を築いた際、上田城の鬼門鎮護として城の北東側に移され海禅寺と改称しています。以来、真田氏の祈願所として庇護され、元和8年(1622)に真田信之が上田藩から松代藩に移封になると松代城下に開善寺として移っています。
上田に残された海禅寺は学問所が設置され、談林所として寺運が隆盛しました。境内から湧き出ている清水は手水として利用されているだけでなく明治14年(1881)には城下に引き込まれ「保命水」として多くの人々が生活水として利用されています。山号:大智山。院号:金剛院。寺号:海禅寺。宗派:真言宗智山派。本尊:大日如来。
海禅寺の文化財
・ 紙本墨書開善寺宛武田信玄寄進状-永禄6年-縦34.3p,横48.0p-市指定
・ 紙本墨書開善寺宛武田信玄判物-永禄5年-縦31.3p,横43.7p-市指定
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