阿礼神社

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概要・歴史・観光・見所
阿礼神社(塩尻市)概要: 阿礼神社は長野県塩尻市塩尻町に鎮座している神社です。阿礼神社の創建年は不詳ですが荒彦山(五百砥山)に現れた悪鬼を素盞嗚命が打ち滅ぼした故事により山頂に素盞嗚命を祀ったのが始まりと伝えられています。以来、武神の神として信仰され平安時代初期の大同2年(807)には坂上田村麻呂(征夷大将軍)が勅命により安曇郡有明山に巣食い賊軍を討つ為に戦勝祈願に参拝し、見事念願成就した事により社領を寄進して明神平に社殿を造営しています(現在の奥社)。

文徳元年(851)、全国的に疫病が蔓延すると宮司に命じて阿礼神社で疫病退散の祈祷が行われ、見事念願成就すると篤く信仰されるようになり、翌年の文徳2年(852)には現在地に遷座し誉田別尊や大己貴命を合祀して現在みられる阿礼神社のかたちが整えられました。格式も高く平安時代に全国の著名な神社を編纂した延喜式神名帳にも式内社として記載されています。

阿礼神社は平安時代末期の治承年間(1177〜1181年)に木曽義仲の祈願所となり分霊を木曾柏原城内に勧請するなど庇護され、義仲没落後も家臣である今井、高梨氏等が落ち延びた上野国に奉遷しています(現木曾三社神社)。その後も歴代領主から崇敬され天文22年(1553)に発生した桔梗ヶ原の戦の兵火で社殿が焼失すると武田信玄が再建し、天正7年(1579)に火災により社殿が焼失すると慶長19年(1614)に松本藩(藩庁:松本城)の藩主小笠原秀政が社殿を修復しています。

阿礼神社は古くから神仏習合し「八幡宮」などと呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を阿礼神社に改め、明治5年(1872)に郷社、昭和20年(1945)に県社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。現在の社殿は正徳4年(1714)に火災で焼失後の寛保3年(1743)に再建されたもので古社の雰囲気を現在に伝えています。阿礼神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入、間口3間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、左右に翼舎付。本殿は三間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。祭神:素盞嗚命。相殿:大己貴命、誉田別命。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(縁起)-阿礼神社

阿礼神社:社殿・境内・写真

阿礼神社
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