塩尻市: 小野家住宅

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概要・歴史・観光・見所
小野家住宅(塩尻市)概要: 小野家住宅は長野県塩尻市塩尻町に位置している古民家です。小野家は中山道塩尻宿の旅籠(屋号:いちょう屋)を代々営み、宿場の中心付近に屋敷を構た宿場内有力者で農地を積極的に広げるなど豪農としての一面もありました。現在の主屋は文政11年(1828)の火災で焼失した後の天保7年(1835)に再建されたもので木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、桁行14.6m、梁間9.1m(北面の北面突出部は木造平屋、切妻、鉄板葺、桁行7.3m、梁間8.2m)、主屋2階に配置された5つの客室には部屋名に因んだ鶴、松、桜、鹿などの絵画が壁、建具、天井など部屋一面に描かれ、「鶴の間」には鶴、「桜の間」には桜とウグイスと燕、「鹿の間」には鹿とモミジの絵画が、特に「桜の間」は襖から天井まで一面桜で覆われ意匠的にも優れています。表門の1、2階に便所を設けるなど江戸時代後期の旅籠建築の仕様が残され、外観は1階正面は格子戸、2階開口部には手摺が設けられ、下屋庇が付いています。

小野家住宅文庫は文政9年(1826)に建てられたもので、土蔵2階建て、切妻、金属板葺き、桁行5.5m、梁間3.6m、外壁は白漆喰で仕上げられ、腰壁は海鼠壁になっています。隠居屋は天保15年(1844)に建てられたもので土造平屋建、切妻、鉄板葺、桁行9.7m、梁間3.7m、当時の敷地背後に建てられています。小野家住宅(主屋・文庫・隠居屋)は江戸時代後期から末期に建てられた大型旅籠建築の遺構として大変貴重なことから昭和48年(1973・平成21年:2009年追加)に国指定重要文化財に指定されています。

又、江戸時代後期の戯作者、絵師で「東海道中膝栗毛」の著者である十返舎一九が宿泊で利用した事でも知られ、著書である「信濃紀行集」に塩尻宿の「銀杏屋」で泊まった旨が記載されています。

【 塩尻宿 】−塩尻宿は中山道が開削された当初は宿場町ではありませんでしたが、当初の経路は難所が続き難儀した事から慶長19年(1614)に新たな経路が開削され、宿場町として町割りされました。塩尻宿を起点に太平洋側を結ぶ三州街道が整備され、さらに、大消費地である松本城城下町とも結ばれていた事から中継地として重要視され、江戸時代中期から後期には旅籠が70軒以上も設けられるなど繁栄しました。江戸時代中期の享保10年(1726)には幕府の直轄領である天領に組み込まれ、その支配領域である5万3千石の行政を司る塩尻陣屋が設けられています。鎮守である阿礼神社は坂上田村麻呂(征夷大将軍)や木曽義仲(木曽源氏棟梁)が参拝したと伝わる古社で広大な境内は歴史を感じさせてくれます。交通量が多い為、宿場町の町並みの風情は感じにくいですが、小野家住宅など数棟の町屋建築が点在し往時の名残を見せています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-塩尻市教育委員会

小野家住宅:写真

小野家住宅
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