塩尻市(歴史)概要: 塩尻市周辺は古くから開けていた地域で古墳時代から平安時代にかけて多くの遺跡が点在し、中でも平出遺跡は長期間にわたる複合遺跡として知られています。平出遺跡には縄文時代から奈良時代にかけての住居の跡が90戸程度発掘されている他、高床式倉庫や登り窯、古墳群なども確認されていて日本三大遺跡の1つに数えられています。又、古くから交通の要衝として多くの物資が集められ、特に塩は日本海側と太平洋側から運び込まれこの地で合流することから塩尻の地名の由来になったとも言われています(又はこの地で塩が売り切れたとも)。
江戸時代に入り街道の整備が進むとこの地には塩尻宿が開かれ中山道、伊那街道(三州街道)、千国街道の分岐点として大きく繁栄し旅籠の数が75軒は長野県内にある中山道宿場町の中で最大規模を誇ります。塩尻市内には塩尻宿以外にも中山道沿いには奈良井宿、木曽平沢(間宿)、贄川宿、本山宿、洗馬宿が開かれ、善光寺西街道には郷原宿が開かれるなど各宿場で独自の文化を育んでいましたが明治時代に入り宿場制度が廃止となり鉄道が開かれると次第に衰退しています。奈良井宿と木曽平沢に関しては現在も古い町並みを色濃く残しており重要伝統的建造物群保存地区に指定され多くの観光客が訪れています。
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