神長守矢家祈祷殿(茅野市)概要: 守矢家の祖先は諏訪大社が勧請される前からの土着神とされる洩矢神だったとされ、諏訪大社が勧請されると神主である大祝家を補佐する家柄になったと伝えられています。古代の諏訪地方は洩矢神の支配下にあり安曇野に降臨した建御名方命(諏訪神)の諏訪侵攻を阻んだとされ、塩尻市に鎮座する小野神社境内(辰野町:矢彦神社)は建御名方命が留められた場所として神聖視されています。
洩矢神が建御名方命に敗れるとその支配下に入り、建御名方命の後裔が大祝家(諏訪家)として諏訪大社上社の祭祀を司り、洩矢神(守矢家)の後裔が補佐する立場となりました。その後、上社五官の筆頭として祈祷や政務事務を掌握し諏訪大社における大きな影響力をもつようになります。守谷家の祈祷は一子相伝で、この祈祷殿に1人籠り戦勝祈願・悪病退散・きつね落とし・天変地変予言などを行ったとされます。
現在の祈祷殿は明治元年(1868)に建てられた切妻、平入、銅板葺、建築面積5.452坪、華美な彫刻や極彩色などを廃した建物で昭和56年(1981)に茅野市指定有形文化財に指定されています。その他にも敷地内には旧祈祷殿遺跡や、御頭役郷庄の精進屋遺跡、御頭みさく神(境内社叢は茅野市指定天然記念物)、勅使殿、神長官裏古墳(茅野市指定史跡)などがあります。又、数多くの古文書が伝わり紙本墨書守矢家文書(155点)が長野県県宝に神長官守矢家文書(50巻)が茅野市指定文化財にそれぞれ指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-茅野市教育委員会
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