諏訪湖: 島木赤彦住居(柿蔭山房)

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概要・歴史・観光・見所
島木赤彦住居(柿蔭山房)概要: 島木赤彦住居は長野県諏訪郡下諏訪町高木に屋敷を構えている古民家です。島木赤彦住居の建物は文政期(1818〜1830年)に建てられたもので、木造平屋建て、入母屋、茅葺、平入、桁行7間半、梁間6間、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、文政4年(1821)に建てられた土蔵と大正14年(1925)に増築された書斎が隣接しています。内部は和室畳敷き6帖(赤彦夫婦と子供の部屋)と和室畳敷き8帖(赤彦の書斎)、和室畳敷き6帖(養父母の居間)、和室畳敷き10帖(子供の勉強部屋)、和室畳敷き8帖、板間(囲炉裏付)、湯殿などの部屋が配されていました。

島木赤彦は明治9年(1876)、旧高島藩士の塚原浅茅の四男として生まれ、明治31年(1898)に結婚して久保田家の養嗣子となりこの住宅で生活しました。以来、赤彦の作歌や執筆の活動拠点となり大正8〜9年(1919〜1920年)頃にこの住宅を「柿蔭山房」と名づけたそうです。赤彦はアララギ派の中心的な人物として「馬鈴薯の花」や「赤彦童謡集」、「歌道小見」、「柿蔭集」などを発表するなど活躍していましたが大正15年(1926)に胃癌の為この世を去りました。享年51歳。島木赤彦住居(柿蔭山房)は江戸時代末期の茅葺屋根建築の遺構で島木赤彦縁の貴重な建物である事から昭和57年(1982)に下諏訪町指定有形文化財(建造物)に指定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-下諏訪町教育委員会

柿蔭山房:写真

島木赤彦住居(柿蔭山房)
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