須坂市(歴史)概要: 須坂市の歴史は古く、平安時代の官営牧場(勅使牧)である「信濃国十六牧」の1つ「高位牧」が設けられ、延長5年に編纂された延喜式神名帳に記載されている所謂式内社には墨坂神社・越智神社・小坂神社が列しています。平安時代後期には信濃源氏井上氏が台頭、井上城(須坂市井上)を中心に須坂市周辺を支配し木曽義仲や源頼朝に従うことで地位を確立し領地を広げます。室町時代後期には一族である高梨氏や須田氏の勢力が広大した事で大きく領地を失い、武田信玄が須坂市を含む高井郡に進出した事で上杉氏を頼り越後に逃れています。武田家が滅びると一時上杉家の所領となり井上氏が須坂市付近の支配に復権しますが上杉景勝が鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になると井上氏も会津に随行しています。
慶長15年(1610)、堀直重が須坂領6000石を賜り、次いで慶長20年(1615)に4000石が加増されたことで諸侯に列し須坂藩を立藩、以来明治維新まで堀家が代々藩主を世襲し13代堀直虎などの名君を輩出しています。須坂市は越後へと抜ける谷街道と大笹街道との分岐点として物資が集積され、商家町として繁栄し須坂藩の中心地として周辺地域の行政的、経済的に大きな影響力をもちました。明治時代以降は近代製糸業によって繁栄し、多くの豪商を輩出し現在の須坂市に見られる多くの土蔵が建てられました。
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