旧上嵯峨屋

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概要・歴史・観光・見所
旧上嵯峨屋(妻籠宿)概要: 旧上嵯峨屋は妻籠宿の南方(長野県木曽郡南木曽町吾妻)に位置しています。案内板によると「 この建造物は44年の解体復元によって江戸時代中期(18世紀中期)の建物と推定される。建造当初の形式をよくとどめ庶民の旅籠(木賃宿)としての雰囲気をうかがうことができる。 南木曽町教育委員会 」とあります。

上嵯峨屋は江戸時代中期の18世紀中頃(1750年前後に妻籠宿に建てられた本賃宿で昭和44年(1969)に解体が行われ、旧材をなるべく利用しながら旧態に近づくように復元されています。木賃宿は正式な「旅籠」とは異なり、食事が宿から出されなかった為、利用者が米、粟、稗などの穀物を持参し、薪代を支払い自炊する仕組みでした。

その為、旅籠に比べると格段に低料金で宿泊出切る為、江戸時代初期には一般的だったものの、旅籠が普及し庶民にもある程度の経済力を持つようになり、江戸時代中期以降に行楽嗜好が高まると、木賃宿は主に低所得者が利用するようになりました。

木賃宿は旅籠建築に比べると小規模で意匠的にも質素なものが多く、基本的に布団などの寝具が無く大部屋の板間に複数人が雑魚寝して一夜を明かしました。規模が小さい事からも現在の住宅事情に鑑みて大きく劣る事から殆どの木賃宿は建て替えられる例が殆どで、旧上嵯峨屋のように当時の姿を留めている遺構は貴重な存在と言えます。

旧上嵯峨屋は木造平屋建、切妻、平入り、板葺石置き、桁行3間半(約6.37m)、梁間5間(約9.1m)、外壁は真壁造り土壁鏝押え、大屋根の軒は低く、庇を大きく前に出し椀木によって支えられ、先端には「鼻隠し」と呼ばれる横板が付けられ、下屋庇は板葺、正面は多少意匠を施した幕板が付けられています。内壁は板張り、建具より上部が真壁造り土壁鏝押え、天井がなく梁などの構造材がむき出しとなっています。

開口部は街道側正面上部が格子戸で、下部は板戸(しとみ戸)、玄関出入口は中央に設けられた板戸、大屋根と下屋庇の間には通風と採光用の格子戸が嵌めこまれています。間取りは中央に街道から敷地奥を土間で結ぶ通り庭で、向って左側は正面から板間2畳、6畳間、6畳間、向って右側は正面から板間3畳、板間9畳(囲炉裏付)、土間3畳となっています。

上嵯峨屋は確かに質素な建物ですが、同じ妻籠宿に江戸時代中期の庶民の長屋建築の遺構である下嵯峨屋と比べると、明らかに意匠的や仕上げなど良いものが採用されています。

旧上嵯峨屋は江戸時代中期に建てられた町屋建築(本賃宿建築)の遺構として貴重で、妻籠宿の良好な町並み景観に大きく寄与している事から事から昭和49年(1974)に南木曽町指定有形文化財に指定されています。又、妻籠宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるとその構成要素に選定されています。現在は南木曽町が所有し一般公開され内部見学できます。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-南木曽町教育委員会

旧上嵯峨屋:写真

上嵯峨屋
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