旧熊谷家住宅

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概要・歴史・観光・見所
旧熊谷家住宅(妻籠宿)概要: 旧熊谷家住宅は妻籠宿の北端に位置し、近くにには口留番所跡鯉岩があります。案内板によると「 この建物は19世紀初頭に建てられた長屋の一部であるが左右の建物が取り壊され建て替えられたことから、長屋の間取りの右半分と左半分が残り、一軒の家として使用されたものである。昭和48年に町で買上げ解体復元された。 南木曽町教育委員会 」とあります。

旧熊谷家住宅(長野県木曽郡南木曽町)は江戸時代後期の19世紀初頭(1800年代初頭)妻籠宿(木曽路)・熊谷家住宅に二軒長屋として建てられた遺構で、左右の区画が解体され、残された3間半分を改めて1戸の住宅として改変されています。その為、元々の長屋だった間取りとは左右が逆で、右側の居住区の右半分と、左側の居住区の左半分を合わせて1軒分の住宅として改めて修築されたようでこのような形態を保持している古民家は珍しく貴重なものとされます。熊谷家住宅は木造平屋建、切妻、平入、鉄板葺、外壁は真壁造り板張、桁行3間半(6.37m)、梁間6間半(11.83m)、内部は正面向って左側が板の間が3部屋続き、右側が土間、その奥が畳敷き8帖の部屋が配されています。一般の民家ということもあり派手な意匠は少なく軒が低いなど当時の形態を色濃く残しています。

同じ妻籠宿に残され江戸時代中期の三軒長屋を改築した下嵯峨屋や木賃宿だった上嵯峨屋と比べると、特徴がよく判ります。まず、建物の間口は熊谷家住宅が桁行3間半(約6.37m)なのに対し下嵯峨屋は桁行3間(約5.46m)、これは二軒長屋より三軒長屋の方がより1区画が狭小だった事が窺え、上嵯峨屋の間口が桁行3間半(約6.37m)だった事を見ると、妻籠宿では当初の一般庶民住宅の町割は3間半が1つの基準だったのかも知れません。

又、間取りにも大きな違いがあり、一般的な町屋建築では正面の道路から敷地背後を結ぶ「通り庭」と呼ばれる土間の通路があり、下嵯峨屋や上嵯峨屋では見られるものの、時代の下がった熊谷家住宅には見る事が出来ません。「通り庭」の名残の土間が残されている為、長屋から戸建てに改築された際に改変されたと思われます。又、建物背後に風呂や雪隠を主屋に取り込んでいるのも時代の流れを感じさせます。熊谷家住宅の間取りは向って左側は正面から板の間4畳、板の間8畳(囲炉裏付)、妻籠宿(木曽路)・熊谷家住宅板の間4畳、右側は正面から土間、土間と板間、畳の間8畳(押入れ付)、主屋背後には風呂、廊下、雪隠とあり、下嵯峨屋と比べると遥かに暮らし易くなっています(元々は下嵯峨屋と同様な並列二間取りの長屋だったと思われますが改築された際、近代的な生活出来るように改変さえたと思われます)。

旧熊谷家住宅は妻籠宿に建てられた江戸時代後期の町屋建築の遺構として貴重な存在で妻籠宿の町並み景観に大きく寄与している事から、昭和48年(1973)に南木曽町が買取り、解体復元が行われ、昭和51年(1976)に南木曽町指定有形文化財に指定されています。又、妻籠宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるとその構成要素に選定されています。現在、熊谷家住宅はは南木曽町が所有し内部は一般公開され当時の生活用品などが展示され見学できます。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-南木曽町教育委員会

旧熊谷家住宅:写真

旧熊谷家住宅
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