上田市: 願行寺

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概要・歴史・観光・見所

願行寺(上田市)概要: 功徳山願行寺は長野県上田市中央に境内を構えている浄土宗の寺院です。願行寺の創建は不詳ですが、伝承によると千曲川太鼓淵で某村人が一光三尊の阿弥陀如来像を川底で見つけた事から当時の領主滋野氏に献上しました。

その後、後裔である海野小太郎が海野郷岩下に御堂を造営し松誉岌香上人を招き功徳山願行寺を開山、本尊として前述した阿弥陀如来像を安置しました。以来、海野氏に庇護されて寺運も隆盛しましたが、天文10年(1541)、当時の当主海野幸義は武田信虎、村上義清、諏訪頼重の侵攻により討死、境内もその兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し唯一本尊である阿弥陀如来像のみだけが難を逃れました。庇護者である海野氏の没落により衰微しました。

天正14年(1586)、海野氏の血脈を継ぐ真田昌幸が上田城を築城した際、城下に岌譽道山上人(山梨県甲府市:帰命院の僧侶)を招き中興開山し真田家の庇護により願行寺は再び隆盛しました。元和7年(1621)に上田城下町整備のため現在地に再建、寛永2年(1625)に当時の住職の霊夢の御告げがあり本尊の阿弥陀如来像を秘仏とし新たに前仏を勧請しました。

江戸時代に入ると上田藩(藩庁:上田城)の藩主松平氏の歴代の菩提寺として篤く帰依した為、広大な境内には多くの堂宇が建てられた一角には墓域(境内には忠済、忠固の墓碑)が設けられていました。しかし、大正14年(1925)の都市化整備の為、大門町通りが開削され境内は大幅な境内余儀なくされ、元和年間(1615〜1624年)に造営された本堂も取り壊されました。

現在ある願行寺四脚門は享保3年(1718)に再建されたもので切妻、本瓦葺き(寛永7年に本瓦葺に葺替)、正面に軒唐破風が設えた格式の高い門で昭和43年(1968)に上田市指定文化財に指定されています。

願行寺には寺宝も多く木造菩薩立像は鎌倉時代初期に制作されたもので「火伏せの観音様」として信仰され、像高51.8cm、桧材、寄木造、平成6年(1994)に上田市指定文化財に指定されています。

銅造善光寺如来一光三尊立像は鎌倉時代末期から室町時代初期に製作されたもので像高:中尊(阿弥陀如来像)47.4cm、脇侍(観音菩薩像)32.8cm、脇侍(勢至菩薩像)32.3cm、銅造、昭和43年(1968)に上田市指定文化財に指定されています。山号:功徳山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀三尊像。

唐門を簡単に説明した動画

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-上田市教育委員会

願行寺:写真

願行寺
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