大井家

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>安養寺(長野県・佐久市)
【 菩提者 】 大井家は鎌倉時代初期に小笠原長清の7男朝光が、信濃国佐久郡大井荘の地頭として就任し、地名に因み大井氏を称したのが始まりとされます。鎌倉時代後期の佐久郡は同じ小笠原家一族で伴野荘の地頭、伴野氏が小笠原家惣領職を担い大きな影響力がありましたが、弘安3年(1280)の「霜月騒動」により主要一族が自刃に追い込まれ、改易になった為没落し、変わって大井氏の影響力が強まります。南北朝の動乱では足利尊氏が率いる北朝方に与した為、南朝方から標的となり、居城である大井城は落城するなど当初は苦戦が続きました。やがて、南朝方の有力武将が次々に討死すると北朝方が有利に展開し、大井氏は信濃守護代を担い、新たに太田荘大倉郷が与えられなど地位の確立と、領土拡大を果たしています。その後、復権を果たした伴野氏との抗争が激化し、文明11年(1479)には大規模な戦闘に至り大敗北を喫してしまいます。この敗北をきっかけに、伴野氏や村上氏が台頭し、文明16年(1484)、村上氏の侵攻を受けた大井城は落城し、大井氏は没落します。その後、一族の一部が村上氏に従属する事で存続が許され、大井城に入りますが、村上氏が武田信玄の侵攻により没落すると、武田家に下り、武田家が滅ぶと四散しています。

安養寺長野県佐久市)は大井家は朝光から6代にかけての菩提寺で、信濃守護代を担った大井氏の庇護により当地域を代表する巨刹として知られました。永享10年(1438)に発生した永享の乱では室町幕府と対立し敗れた足利持氏が大井氏を頼り、嫡子永寿王丸を預け、大井氏は菩提寺である安養寺に密かに匿ったとされ、現在でも永寿王丸、縁の品々が伝えられていますそうです。その後、永寿王丸は第5代鎌倉公方足利成氏として復権を果たし、感謝の意から安養寺には多大な寺領が寄進され、さらに大寺院として発展しました。

【 寺  号 】 安養寺
【 所在地 】 長野県佐久市安原
【 創建年 】 弘安年間(1278〜1287年)、又は正応年間(1288〜1292年)
【 開  山 】 心地覚心
【 開  基 】 後深草上皇
【 山  号 】 宝林山
【 宗  派 】 臨済宗妙心寺派
【 本  尊 】 阿弥陀如来
長野県大名菩提寺
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