龍岡松平家

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>蕃松院(長野県・佐久市)
【 菩提者 】 天正11年(1583)に松平(依田)康国が小諸領6万石の領主になると父親である依田信蕃の菩提を追善供養の為、明法寺を現在地に移し再興開山し信蕃の戒名「蕃松院殿節叟良?大居士」から蕃松院に改称しました。依田信蕃は武田信玄、武田勝頼に従った佐久地方の領主で猛将として知られていました。特に徳川軍との二俣城の攻防戦では半年にわたる籠城戦でも城を守り抜き、全家臣の助命を条件に開城し、田中城の攻防戦でも結局城を守り抜き、主家である勝頼の自害を持って開城に応じています。その後、一時織田信長の家臣滝川一益に従いますが、本能寺の変により一益が自領に引き上げると徳川家康と通じ、武田家の遺領を巡る北条家の戦いで結果的に信州の大部分が徳川領となる大功を上げています。信蕃が死去すると嫡男、竹福丸は松平姓と家康の「康」の字、小諸城6万石が与えられました。蕃松院(長野県佐久市)の境内には信蕃の墓碑と伝わる五輪塔が建立され、本堂には位牌が安置されています。

宝永元年(1704)、大給藩(後の奥殿藩、田野口藩、龍岡藩)の3代藩主松平乗真の代に元々の近畿地方にあった1万2千石分の領地が信濃国佐久郡1万2千石分と交換となり当地域は大給藩領となりました。とはいっても大給藩は総高1万6千石だった為、4分3の領地は佐久郡内にあり天明6年(1790)には蕃松院が松平家の領内菩提寺に指定され、歴代藩主の位牌が安置される事になりました。本墓は奥殿陣屋背後に廟所を設けて埋葬され、江戸菩提寺として浄土寺(東京都港区赤坂)と香林寺(東京都港区麻布)がありました。最後の藩主となった松平乗謨は名君とされ文久3年(1863)に当地に陣屋移転の届出を出すと元治元年(1863)に日本全国に2例しか存在しない五稜郭(龍岡城)を築城、軍制をフランス式に近代化しました。幕政では大番頭、若年寄、陸軍奉行、老中・陸軍総裁などの要職を歴任し幕末の幕府を支える一翼を担っています。又、明治維新後は日本赤十字社の前身である博愛社を創設に尽力しています。

【 寺  号 】 蕃松院
【 所在地 】 長野県佐久市田口
【 中興年 】 天正8年(1580)
【中興 開山】 儀山げん孝大和尚
【 開  基 】
【 山  号 】 大梁山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦牟尼佛
【 備  考 】 歴代龍岡藩主の位牌
伝:依田信蕃の墓碑(五輪塔)・信蕃の位牌
長野県大名菩提寺
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