小松姫

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>大英寺(長野県・長野市松代町)
【 菩提者 】 小松姫は天正元年(1573)、本多忠勝の長女として生まれました。天正13年(1585)の上田合戦で敗北した徳川家康は、和睦後に真田家を取り込む事を画策し、その一環として忠勝の長女を家康の養女とし、真田昌幸の嫡子信之の正室として送り込みました。この結婚については逸話があり、小松姫は婚約者候補を一部屋に一列に並べさせ、高飛車な態度で値踏みした為、信之のみがその態度に我慢出来ず叱責した上で退席した為、小松姫が好意を寄せたとも、当初は忠勝の長女として結婚が勧められた所、家臣の娘では釣り合いが取れないと真田家が拒否した為、わざわざ家康の養女にしたとも云われています。所謂政略結婚でしたが夫婦仲は比較的に良かったとされ信吉、信政信重、まん、まさ、三女、四女らの子供達をもうけています(信政、信重は側室の子供という説もあります)。晩年病気がちとなり元和6年(1620)に草津温泉に湯治に向う途中死去、菩提は荼毘に付され、その後、勝願寺と小松姫の縁のある正覚寺(群馬県沼田市)、菩提寺である常福寺(現在の芳泉寺:長野県上田市)にそれぞれ分骨されました。元和8年(1622)、信之が松代藩(藩庁:松代城)に移封になると小松姫を弔う寺院が求められた為、寛永元年(1624)に常福寺(芳泉寺)の住職である含霊大和尚が招かれ大英寺長野市松代町)が現在地(江戸時代初期は酒井家の菩提寺大徳寺の境内)に創建され、以後、松代藩歴代真田家から篤く帰依されました。明治4年(1871)廃藩置県が執行されると松代藩も廃藩となり、大英寺は庇護者を失い衰微、本堂をはじめ多くの壮大な堂宇は解体され唯一残された小松姫(戒名:大蓮院殿英誉皓月大禅定尼)の霊廟である大蓮院霊屋(万年堂)が本堂として移築整備されました。

【 寺  号 】 定勝寺
【 所在地 】 長野県長野市松代町表柴町
【 創建年 】 元和6年(1620)
【 開  山 】 含霊大和尚(常福寺:現在の芳泉寺の住職)
【 開  基 】 真田信之(松代藩初代藩主)
【 山  号 】 皓月山
【 宗  派 】 浄土宗
【 本  尊 】 阿弥陀如来
【 備  考 】 大英寺本堂(旧大蓮院霊屋:小松姫霊廟)−長野県宝−指定日:昭和41年
板絵:著色三十六歌仙図(36枚)−小松姫の娘、西台院寄進
長野県大名菩提寺
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