吉良義周

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>法華寺(長野県・諏訪市)
【 菩提者 】 吉良義周は米沢藩(山形県米沢市:本城−米沢城)の4代藩主上杉綱憲の2男として貞享3年(1686)に生まれました。綱憲は吉良上野介義央の長男で上杉家に婿養子として入った関係で、吉良家を本来継ぐべく2男吉良三郎が貞享2年(1685)に死去した事から、元禄2年(1690)に上杉家と幕府との教義の上で義周(幼名:春千代)が吉良家の養子となりました。元禄14年(1701)、3月14日、江戸城松之大廊下において、養父である義央が赤穂藩(兵庫県赤穂市:本城赤穂城)3代藩主浅野長矩に殿中刃傷を受けるという前代未聞の事件が発生し、浅野長矩は即日切腹と赤穂藩取り潰しが決定し、義央は事実上隠居に追い込まれ、義周が17歳で吉良家を継ぐ事になっています。元禄15年(1703)12月14日、所謂、赤穂浪士討ち入り事件の際、義周は吉良邸に滞在し赤穂浪士と交戦する中、数箇所の傷を負わされ気絶、気がついた時には既に養父義央は討ち取られ赤穂浪士の姿は無かったとされます。元禄16年(1703)2月4日、幕府の裁定により、吉良家は改易、義周は高島藩長野県諏訪市:本城−高島城)の藩主諏訪忠虎に身柄預かりが下され高島城の南丸に幽閉されました。一般の罪人に比べるとかなり優遇されたそうですが、次第に病気がちとなり、宝永3年(1706)1月19日死去、菩提は高島城に近い法華寺(諏訪市)に葬られました。享年21歳。戒名「室燈院殿岱岳徹宗大居士」。

法華寺は平安時代に創建された古社で、信濃国一宮で延喜式神名帳では名神大社として記載された諏訪大社上社本宮の神宮寺の1つでした。武田家滅亡の際には法華寺で論功行賞が行われ、織田信長が明智光秀を面前で叱責した歴史の舞台にもなっています。往時は五重塔が造営されるなど隆盛しましたが、明治時代神仏分離令後に破棄され、さらに平成11年(1999)、放火により本堂が焼失し貴重な文化財を数多く失っています。

【 寺  号 】 法華寺
【 所在地 】 長野県諏訪市大字中洲神宮寺
【 創建年 】 鎌倉時代(中興開山)
【 開  山 】 蘭渓道隆(中興開山)
【 開  基 】 蓮仏盛重(中興開基)
【 山  号 】 鷲峰山
【 宗  派 】 臨済宗妙心寺派
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 吉良義周の墓碑
長野県大名菩提寺
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