大井信定

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>信定寺(長野県・長和町・和田宿)
【 菩提者 】 大井信定は武石城主大井信広の次男とされ和田城に配されました。大井家は武田信玄の生母の実家の一族でしたが天文22年(1553)、信広、信定共に武田家を離反して突如として長尾景虎(上杉謙信)に与し、同じく影虎に与した村上家と共に挙兵します。信定は矢ヶ崎城を接収し家臣である泰次郎右衛門幸清を配して守りを固めますが武田軍に侵攻により落城、信定も討死したと伝えられています。その後、居城である和田城も落城し一族郎党悉く討死、当地方は信玄により平定されました。天文22年(1553)、信定の菩提を弔う為に信定寺(長和町)が創建され、元禄6年(1693)には信定寺第六世来安察伝和尚が、居館跡(現在の若宮八幡神社境内)で信定父子の首が埋められた場所に墓碑が建立されました。

信定寺中山道(信濃路)和田宿に位置していた事から日光東照宮(栃木県日光市)の例祭に奉幣を奉納する為に朝廷から派遣された例幣使や、参勤交代で和田宿を利用する西国諸大名、祈願所として京都二条殿から参拝を受けていました。

【 寺  号 】 信定寺
【 所在地 】 長野県小県郡長和町和田下町
【 創建年 】 天文22年(1553)
【 開  山 】
【 開  基 】
【 山  号 】
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦牟尼佛
【 備  考 】 若宮八幡神社境内に大井信定父子の墓碑−長和町指定史跡−指定日:昭和46年
木造釈迦如来坐像(鎌倉時代末期、像高86cm)−長和町指定文化財−昭和56年
恵林禅人臨川の偶(文政2年〜文政7年)−長和町指定文化財−昭和56年
山水六曲屏風(江戸時代、旧和田村出身狩野派秦燕格作)−長和町指定文化財−昭和56年
陣鐘(延徳2年、高さ30.3cm、口径18.9cm、半鐘形)−長和町指定文化財−昭和56年
木造三宝荒神立像(室町時代、像高65.5cm)−長和町指定文化財−昭和56年
長野県大名菩提寺
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