木曽家

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>定勝寺(中山道・木曽路・須原宿)
【 菩提者 】 木曽氏は木曽源氏の頭領として名を馳せた木曽義仲の後裔とされる氏族です。ただし、室町時代まではその存在は不明で、室町時代当初に他の氏族が木曽谷を支配し、地名に因み木曽氏を名乗ったと考える方が無難なようです・江戸時代中期に編纂された「木曽考」木曽義仲の7代後裔が沼田氏を名乗り、南北朝の争乱で北朝に与し、木曽谷の北半分を与えられた事が記載され、客観的な資料としては至徳2年(1385)に「伊与守藤原家信」を願主とする棟札が水無神社と黒沢御嶽神社に残され、この藤原家信が木曽氏の本流又は一族と見られる事から当初は藤原氏を称していた事から藤原姓沼田氏だった事が窺えます。木曽氏の初期の菩提寺である定勝寺の伝承では嘉慶年間(1387〜1388年)、又は永徳2年(1430)に木曽親豊によって創建されたと伝えられる事から、この頃になると地名に因み木曽氏を名乗り出したようです。文安5年(1448)に洪水により城下が大きな被害が出ると、享徳4年(1455)に木曽家賢が慧厳を定勝寺の住職に任命し再興を図らせて、康正2年(1456)には判物を発給しています。その後、木曽氏が木曽谷全域を掌握するようになり、次第に木曽源氏の後裔を自称するようになっています。木曽氏は当初、須原城を居城とし、永正6年(1509)に木曽義在が上之段城を築城し本城を移すまで、須原を本拠地にしていました。木曽氏が拠点を上之段城に移すと須原城がどの様な役割を持ったのかは判りませんが、慶長3年(1593)、麓に設けらた木曽氏の居館跡地である現在地に定勝寺が境内を移しています。定勝寺には古い建物が数多く残されており、中でも本堂、山門、庫裏が大変貴重と評価され国指定重要文化財に指定されています。

定勝寺が境内を構える須原の地は元々、須原城の城下町として発展しましたが、江戸時代に入ると、中山道木曽路の宿場町、須原宿として整備され引き続き、当地域の中心地としての役割を担っています。須原宿は江戸時代後期に本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒、家屋104軒が軒を連ね、幸田露伴の作品である小説「風流仏」の舞台にもなっています。現在でも須原宿には風情ある町並みが残されており、木の丸太を刳り貫いて水場にしている「水舟」が特徴の1つとなっています。

【 寺  号 】 定勝寺
【 所在地 】 長野県木曽郡大桑村須原
【 創建年 】 嘉慶年間(1387〜1388年)・永徳2年(1430)
【 開  山 】 初屋和尚
【 開  基 】 木曽親豊
【 山  号 】 浄戒山
【 宗  派 】 臨済宗妙心寺派
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 木曽義元肖像画(長野県の県宝)・絹本著色玉林和尚像(木曽義元の2男の絵画:長野県の県宝)・木曽義在像(絵画:大桑村指定文化財)・書 玉林(木曽義元の2男の書跡:大桑村指定文化財)
長野県大名菩提寺
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