滋野家

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>津金寺(長野県・立科町)
【 菩提者 】 滋野家は貞保親王(清和天皇の第4皇子)が信濃国海野庄(現在の長野県東御市本海野宿)に住し、延喜5年(905)、善淵王(貞保親王の孫)の代に醍醐天皇から滋野の姓を賜ったことが始まりとされます。伝承によると貞保親王が当地に派遣された際、眼病を患い浅間温泉松本市の浅間温泉?)で湯治しましたが結局失明し小県郡望月郷海野白鳥庄に住むようになったと伝えられています。ただし、これらの事は正式な記録など記されていない事から疑問視され当初は楢原氏と称し弘仁14年(823)に家訳と子供とされる貞主が滋野朝臣を賜った説や名草宿禰安成が仁寿2年(852)に滋野姓に改称した説などがあります。中央との繋がりを強く、朝廷直轄の御牧である信濃十六牧の中でも最大規模の望月牧の牧官として経営を任されたとされ、貞主の娘は仁明天皇の女御となり、自らは正四位下に列し相模守を担い、貞雄(貞主の弟)は従四位上、恒蔭(貞雄の孫)は信濃守、善根(貞主の次男)は信濃守を担っています。承平8年(938)の平将門の乱の際、滋野恒成(善淵)は旧知の間柄と思われる平貞盛(平国香の嫡男)と共闘して平将門と対立し敗退しています。重道の代になると地名から海野氏を称するようになり、さらに、根津氏や望月氏などの分家筋が発生し特に海野氏、根津氏、望月氏は「滋野三家」と呼ばれ大きな影響力を持ちました。

津金寺(立科町)は滋野家の菩提寺とされ境内には滋野氏某夫妻が承久2年(1220)に建立した逆修供養塔(生前供養塔)が2基、滋野盛●が嘉禄3年(1227)に両親の菩提を弔う為に建立した納経塔が1基あり名称「津金寺宝塔」として長野県宝に指定されています。津金寺の境内は古くは古代の官道である東山道が通った交通の要衝で、江戸時代には中山道芦田宿が町割りされました。津金寺も街道を利用して多くの僧侶が集まり、鎌倉時代には「津金寺談義所」が設けられ、天台宗信濃五山(※武水別神社戸隠神社善光寺光前寺・津金寺)に数えられました。

津金寺は中山道の宿場町である芦田宿から少し離れた場所に境内を構えています。芦田宿は難所の一つ笠取峠の東の入口に位置していたものの、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠6軒と大きな発展が見られませんでした。一方、芦田宿の本陣を歴任した土屋家の客殿が現存し、格式の高い意匠が採用された上段の間のほか、広間、小姓部屋、湯殿、雪隠などが当時のままの姿で残され、長野県の県宝に指定されています。

【 寺  号 】 津金寺
【 所在地 】 長野県北佐久郡立科町山部(旧中山道:芦田宿)
【 創建年 】 大宝2年(702)
【 開  山 】 行基菩薩
【 開  基 】
【 山  号 】 慧日山
【 宗  派 】 天台宗
【 本  尊 】 聖観音
【 備  考 】 滋野氏宝塔(鎌倉時代:3基)−長野県宝−指定日:昭和49年
【   ※   】 戸隠神社(顕光寺は廃寺)−長野県長野市戸隠
定額山善光寺(無宗派)−長野県長野市元善町
武水別神社(更科八幡神宮寺は廃寺)−長野県千曲市八幡
慧日山修学院津金寺(天台宗)−長野県北佐久郡立科町山部
宝積山無動院光前寺(天台宗)−長野県駒ヶ根市赤穂
長野県大名菩提寺
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