霧降宮切久保諏訪神社(白馬村)概要: 霧降宮切久保諏訪神社の創建は不詳ですが鎮座地である千国庄は平安時代末期から鎌倉時代初期に成立した事からその時期を前後して産土神として諏訪大社下社(長野県下諏訪町)の分霊を勧請したと推定されます。
時代が下がると切久保地区(塩島村・新田村)の鎮守として信仰され、江戸時代には松本藩四大社に選定され藩主の崇敬社として篤く庇護されました。
現在の本殿は明暦4年(1658)に再建されたもので大町出身の宮大工金原周防定兼とその弟子横田喜平次が棟梁として携わり、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成13年(2001)に白馬村指定文化財に指定されています。
毎年9月の敬老の日は例祭(七道祭り)で七道の神事が本殿で行われ、平和を祈願する浦安の舞、五穀豊穣を祈願する尾花踊りが神楽殿(入母屋、鉄板葺、外壁は素木板張)で奉納され、当時は七道が被る7つの木面があり行列の参道を祓い清めていましたが現在は神面、獅子面、猿田彦面のみが残されています。
往時は諏訪大社で行われる式年薙鎌打ち神事(長野県指定無形民俗文化財)の際に下社から大祝一行が、薙鎌を捧持し「境の宮」又は「小倉明神」に参向する際、霧降宮切久保諏訪神社の神主宅で宿泊する事が常とされ重要視されていた事が窺えます(現在は大宮諏訪神社で奉告祭が行われています)。
霧降宮切久保諏訪神社は雨降宮嶺方諏訪神社、霜降宮細野諏訪神社と共に白馬村諏訪三社に数えられています。祭神:建御名方命、八坂刀売命、手力雄命、八縣宿祢命、天照皇大神。
霧降宮切久保諏訪神社の文化財
・ 本殿−明暦4年(1658)−三間社流造、こけら葺−白馬村指定文化財
・ 月光寺鰐口−至徳3年(1386)−銅製−白馬村指定文化財
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-白馬村教育委員会
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