武水別神社

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概要・歴史・観光・見所
武水別神社(千曲市)概要: 武水別神社は長野県千曲市大字八幡に鎮座している神社です。武水別神社の創建は不詳ですが伝承によると武水別神社(千曲市)人皇第八代孝元天皇(紀元前214〜156年)の御代に武水別大神を勧請されたのが始まりと伝えられています。古くから格式の高い神社として知られ、平安時代に成立した歴史書である「三代実録」には貞観2年(860)に従五位下、貞観8年(866)に従二位の神階を受け、貞観9年(867)には官社に列したことが記され、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社と記載されています(あくまで武水別神とすると)。平安時代に入ると石清水八幡宮(京都府八幡市)の荘園となり、安和年間(968〜970年)に石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比淘蜷_が勧請されています。

武水別神社は当地方随一の八幡宮として歴代領主からも崇敬され養和元年(1181)には木曽義仲が越後の城資職討伐の戦勝祈願、境内には祈願文を奉持した家臣が石の凹に溜まった雨水で具足を清め神前に奉納したと伝わる「献納滝壺の石」が残されています。弘治3年(1557)と永禄7年(1564)に行われた川中島合戦の際には上杉謙信が勧請文を納め、それには武田晴信(信玄)は親を追放したり、神社仏閣を破壊したり、人民を不幸にする悪人で、自分には私利私欲が無く、領地を奪われた旧領主の復権を願うだけなので、どうか勝利に導いてくださいといった内容が記されています。北信濃が上杉領になると上杉景勝に従った仁科盛直に松田姓の名跡を継がせ武水別神社の神官及び八幡領の領主とし、盛直が景勝の会津移封に随行すると一族と思われる松田縫殿助が神官として当地に残っています。

江戸時代に入っても慶長7年(1602)には川中島藩(後の松代藩)の藩主森忠正が社領を寄進し、慶長15年(1610)には海津城(後の松代城)の城主松平忠輝の重臣である大久保石見守長安(後に石見銀山奉行として名を馳せ、幕政でも大きな権力を手中にしています。)が金銅製六角釣灯籠(総高51cm)を奉納しています。寛永13年(1636)には松代藩(藩庁:松代城)の藩主真田伊豆守がそれぞれ寄進が行われ、慶安元年(1648)には幕府から朱印地は200石が安堵されました。江戸時代に入ると参拝者が急増し、善光寺西街道稲荷山宿から武水別神社の境内に到る八幡道の分岐点には道標が建立され便宜が図られています。

古くから神仏習合し「更級八幡宮」などと呼ばれ、別当寺院である神宮寺は天台宗信濃五山(現在の武水別神社、現在の戸隠神社善光寺光前寺津金寺)に数えられるなど寺運も隆盛し境内には如法堂や鐘楼、三重塔、釈迦堂など七堂伽藍を有していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈運動により神宮寺は廃寺となり、社号を「武水別神社」に改称、郷社、明治41年(1908)に県社に列してます。信濃國十四社巡り。祭神:武水別神、誉田別命、息長帯比売命、比呼大神。

武水別神社本殿は嘉永3年(1850)に再建されたもので三間社流造、銅板葺、棟梁は立川和四郎、拝殿は安政3年(1856)入母屋、銅板葺、妻入り、間口3間、奥行き6間、外壁が真壁造り板張り、棟梁は立川和四郎、峰村弥五郎。武水別神社の境内社である高良社本殿は室町時代後期に建てられたと推定されるもので一間社流造、銅瓦棒葺、桁行1.4m、梁間2.37m、外壁木部朱塗り、室町時代の特色を示す貴重な建物として昭和50年(1975)に長野県の県宝に指定されています。

武水別神社頭人行事は1年の収穫を祭神に対して感謝する新嘗祭の一つで、氏子から選ばれる「頭人」の中でも最高位の「大頭」が中心となり、神と氏子が交わる神人合一の祭事として知られ国選択無形民俗文化財に選択されています。境内に残されている、神輿休所は江戸時代後期に建てられたと推定される建物で、木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、外壁は柱のみの吹き放し、神仏混淆していた頃の別当寺院だった更級八幡宮神宮寺(明治時代の神仏分離令により廃寺)の唯一の遺構として貴重な存在です。

武水別神社神官松田邸は屋敷の周囲を土塁と堀で囲んでいる中世の居館跡を継承しているもので、敷地内部には江戸時代から明治時代に建てられた、主屋、天神地祇社、御霊屋、西の土蔵、斎館、長屋門、大門の塀、表門、味噌蔵、隠居屋 、新座敷、料理の間、裏の長屋、北の蔵、おたや、と、当時の神官屋敷の略全ての建物が残されている遺構として貴重な事から、敷地(東西70m、南北90m)は名称「武水別神社神主松田家館跡」として平成18年(2006)に長野県指定史跡に指定され、建物は名称「武水別神社神官松田邸」として平成15年(2003)に千曲市指定文化財に指定されています。

中でも武水別神社の松田家斎館は江戸時代末期の文久元年(1861)に再建されたもので、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、間口7間、奥行き3間半、格式の高い式台付き玄関や、2間続きの座敷など当時の武水別神社の神事が行われた空間として貴重な事から名称「松田家斎館」として平成26年(2014)に長野県の県宝に指定されています。境内に建立されている銅製釣燈籠は室町時代の嘉吉3年(1443)に奉納されたもので、総高31.3cm、笠形径27.5cm、制作年が明確な銅製釣燈籠としては厳島神社(広島県廿日市市)に奉納された燈籠は次ぐ歴史がある事から昭和45年(1970)に長野県の県宝に指定されています。

武水別神社の文化財
・ 武水別神社頭人行事-国選択無形民俗文化財
・ 摂社高良社本殿-室町時代-一間社流造,木部朱塗り-長野県:県宝
・ 銅製釣燈籠-室町時代-長野県:県宝
・ 武水別神社社叢(18896u,20数種,400本超)-長野県指定天然記念物
・ 武水別神社松田家館跡-東西70m,南北90m-長野県指定史跡
・ 武水別神社神官松田邸−江戸時代〜明治時代−千曲市指定文化財
・ 松田家斎館-文久元年-寄棟,桟瓦葺き-長野県:県宝
・ 伎楽面(金剛面1面・力士面1面)-平安〜鎌倉時代-千曲市指定文化財
・ 獅子面-鎌倉時代-横型獅子面,一木造-千曲市指定文化財
・ 金銅製六角釣燈篭-慶長15年,大久保石見守寄進-千曲市指定文化財

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-武水別神社
・ 現地案内板(献納滝壺の石)-武水別神社
【 付近地図 】
長野県千曲市大字八幡

武水別神社:社殿・境内・写真

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