下諏訪宿(中山道・甲州街道)

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概要・歴史・観光・見所
下諏訪宿(甲州街道)概要: 下諏訪宿は江戸日本橋から中山道では29番目、甲州街道では最終である39番目の宿場町にあたります。中山道でいうと難所に数えられる和田峠と塩尻峠の中間に辺り、甲州街道への分岐点でもあり宿場はおおいに賑いました(江戸時代初期までは、小野宿、牛首峠、木曽桜沢を結ぶ経路が中山道の道筋でしたが、不便だった事から新たな経路が開削され塩尻宿、洗場宿本山宿の3宿が開宿しました)。特に和田峠は中山道三大難所の1つとして数えられ「木曽の棧 太田の渡し 和田の峠がなけりゃよい」と詠われた程で、参勤交代で中山道を利用した大名は下諏訪宿で宿泊する事を常としました。又、中山道唯一の温泉街を兼ねての宿場町で、下諏訪大社秋宮の門前町でもあった為、単に旅人や物流業者だけでなく、湯治客や参拝者など様々な理由で下諏訪宿を利用しました。温泉街でもあった為、温泉付きの旅籠や、一般の旅籠以外にも多くの茶屋も存在し、飯盛り女も認められていた事から歓楽街的な要素もありました。下諏訪宿には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠40軒と施設的も大きく、約800m程の町並みが形成されていました。

本陣は代々岩波家が世襲し(当初は小口弥右衛門家が本陣職を担っていましたが2代目が不祥事を起こし解任となり岩波太左衛門家が受け継ぐ事になりました)、往時は1千8百坪の敷地し3百坪の主屋があったとされ、大名や皇族など身分が高い人達が宿泊や休息で利用し、中でも文久元年(1861)11月5日には皇女和宮が宿泊、明治13年(1880)6月24日には明治天皇が休息に利用しました。現在でも建物の約半分と中山道随一との呼び声も高い庭園が残され下諏訪町指定史跡に指定され日本名園100選に選定されています。脇本陣は当初は小松孫次右衛門家、その後、今井新兵衛家、その他に仮脇本陣として桧物屋直右衛門家と丸屋要四郎家がその任を務めました。下諏訪宿には上問屋と下問屋の2軒の問屋が設けられ、上問屋は本陣職を担った岩波家が兼務し、下問屋は脇本陣職の小松氏や今井氏、伊東氏などが歴任しています。下諏訪宿は大きく本宿と友の町の2町で構成され、宿場の運営は本宿が3分2、友の町が3分1の負担で行われていました。本宿は友の町が加宿であった事実から格下と見下し接していた関係もあり度々軋轢が生じ高島藩高島城)が仲裁に入っています。

【 下諏訪大社秋宮 】−下諏訪大社秋宮は諏訪大社4社のうちの1社で建御名方命、八坂刀売命、御兄八重事代主神を祀ります。諏訪大社下社秋宮の創建年など不詳ですが、古代から信仰され、信濃国一之宮として格式が高く、全国で祭られている諏訪神社の本社である諏訪大社の一翼を担っている神社です。諏訪大社は上社本社、上社前宮、下社秋宮、下社春宮二社・四宮で構成されている全国的に見ても特異な信仰形態を保持し、天下の奇祭とされる御柱祭や筒粥の神事など特殊神事も数多く現在も謎の多い神社の1つです。特に、祭神の建御名方神は国譲りの神話が起因となり武神として信仰され、大名や武士などから篤く信仰され現在も数多くの参拝者が訪れています。下社秋宮の境内には古建築物が多く幣拝殿(安永10年:1781年)と左片拝殿(安永10年:1781年)、右片拝殿(安永10年:1781年)、神楽殿(天保6年:1835)の4棟が国指定重要文化財に指定され、例祭の御柱祭りは長野県指定無形民俗文化財、社叢は下諏訪町指定天然記念物、経塚出土品(舟形水差・和鏡・花形鋺・黄瀬戸香炉・灰釉と黄金)、宝物(和鏡・舟形錠・鎌)、古文書(右大将家下文・小笠原長基寄進状・小笠原持長社領安堵状・江戸幕府朱印状・御教書)が下諏訪町指定文化財に指定されています。

【 下諏訪温泉 】-下諏訪温泉の開湯は不詳ですが、伝承によると諏訪大社の祭神である建御名方神と八坂刀売神が当地に御神渡りになった際、温泉の源である「湯玉」をお持ちになり、下社境内にそれを置くと、源泉が滾々と湧き出たと伝えられています。記録的には鎌倉時代に寺湯として利用された歴史ある温泉で、中世以来湯治場としても知られ、江戸時代の宝暦6年(1756)には高島藩の藩士が記載した「諏訪かのこ」に体が温まり子宝に恵まれると記載しています。中山道の宿場町の中では唯一の温泉場だった事から多くの旅人から利用されました。源泉は20ケ所、沸湯量は5100リットル、泉質は源泉によって異なるものの、弱アルカリ性単純泉、ナトリウム・カルシウム一硫酸塩・塩化物泉、含鉄ーアルミニウムー硫酸塩泉、効能は神経痛、関節痛、リウマチ、皮膚アレルギーなど。現在でも25箇所の源泉から豊富な源泉が湧き出し公衆浴場は10箇所を数え気軽に利用出来るようです。

【 下諏訪町立歴史民俗資料館 】−現在の建物は明治時代初期に建てられたもので、木造2階建、切妻、鉄板葺、平入、1階、2階共に正面は全面出格子が設けらています。敷地背後には多くの土蔵が配されており、元の持ち主が裕福な家柄だった事が窺えます。元々は旅籠(旅館)として利用されていたそうですが、建物の保存活用と、下諏訪宿の資料の展示、収蔵を目的として昭和62年(1987)に下諏訪町立歴史民俗資料館が開館しました。内部には宿場の絵や写真や旅の携帯用具、中山道69次錦絵、皇女和宮ご下降資料、水戸天狗党合戦資料、赤報隊相楽総三資料などが展示されています。

下諏訪宿:町並み・写真

下諏訪宿 下諏訪宿 下諏訪宿 下諏訪宿
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下諏訪宿・神社・寺院・城郭・古民家

下社秋宮
諏訪大社下社秋宮
諏訪大社下社秋宮
下社春宮
諏訪大社下社春宮
諏訪大社下社春宮
本陣
本陣
本陣
慈雲寺
慈雲寺
慈雲寺


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