下諏訪宿(甲州街道・諏訪大社下社)

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下諏訪宿(甲州街道:宿場町・諏訪大社下社:門前町)
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【下諏訪宿】下諏訪宿中山道の難所の1つ和田峠を控えた宿場町で、甲州街道との分岐点、諏訪大社下社秋宮の門前町、諏訪温泉の温泉街と、幾つもの要素を兼ね備えた事で大変賑わいました。特に和田峠は中山道三大難所の1つとして数えられ「木曽の棧 太田の渡し 和田の峠がなけりゃよい」と詠われた程で、参勤交代で中山道を利用した大名は下諏訪宿で宿泊する事を常としました。本陣は代々岩波家(当初は小口弥右衛門家が本陣職を担っていましたが2代目が不祥事を起こし解任となり岩波太左衛門家が受け継ぐ事になりました。)が歴任し西国大名だけでなく、皇女和宮や明治天皇も宿泊所として利用し、現在も表門や座敷棟、庭園(中山道随一の名園と言われています)などの遺構が残さ本陣を利用した大名の関札などの資料を数多く所有し下諏訪町指定史跡に指定されています。脇本陣は江戸時代初期から中期までは旅籠「まるや」と問屋「ひものや」が勤め、その後は「まるや」が仮脇本陣と降格し天保2年(1831)に再び本脇本陣に昇格しています。下諏訪宿は大きく本宿と友の町の2町で構成され、宿場の運営は本宿が3分2、友の町が3分1の負担で行われていました。本宿は友の町が加宿であった事から格下と見下し接していた事から度々軋轢が生じ高島藩(高島城)が仲裁に入っています。

【諏訪大社】−諏訪大社下社秋宮の創建年など不詳ですが、古代から信仰され、信濃国一之宮として格式が高く、全国で祭られている諏訪神社の本社である諏訪大社の一翼を担っている神社です。諏訪大社は上社本社、上社前宮、下社秋宮、下社春宮二社・四宮で構成されている全国的に見ても特異な信仰形態を保持し、往時は特殊神事も数多く現在も謎の多い神社の1つです。特に、祭神の建御名方神は国譲りの神話が起因となり武神として信仰され、大名や武士などから篤く信仰され現在も数多くの参拝者が訪れています。下社秋宮の境内には古建築物が多く幣拝殿(安永10年:1781年)と左片拝殿(安永10年:1781年)、右片拝殿(安永10年:1781年)、神楽殿(天保6年:1835)の4棟が国指定重要文化財に指定され、例祭の御柱祭りは長野県指定無形民俗文化財、社叢は下諏訪町指定天然記念物、経塚出土品(舟形水差・和鏡・花形鋺・黄瀬戸香炉・灰釉と黄金)、宝物(和鏡・舟形錠・鎌)、古文書(右大将家下文・小笠原長基寄進状・小笠原持長社領安堵状・江戸幕府朱印状・御教書)が下諏訪町指定文化財に指定されています。

【下諏訪温泉】−鎌倉時代に寺湯として利用された歴史ある温泉で、中世以来湯治場としても知られ、中山道の宿場町の中では唯一の温泉場だった事から多くの旅人から利用されました。源泉は20ケ所、沸湯量は5100リットル、泉質は源泉によって異なるものの、弱アルカリ性単純泉、ナトリウム・カルシウム一硫酸塩・塩化物泉、含鉄ーアルミニウムー硫酸塩泉、効能は神経痛、関節痛、リウマチ、皮膚アレルギーなど。共同温泉も多く気軽に利用出来るようです。

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