長野市松代町: 真田勘解由邸

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概要・歴史・観光・見所
真田勘解由邸(長野市松代町)概要: 真田勘解由の家は2代藩主真田信政の子息である勘解由信就を始祖とする真田家の分家で同家から松代藩(藩庁:松代城)4代藩主を信弘を輩出しています。信就は信政の長男で本来跡継ぎの第一候補でしたが、母親が側室が小野お通(2代目)である事などから分家を起して勘解由家を名乗りました。しかし、3代藩主真田幸道に跡継ぎが生まれなかった為、信就の7男信弘が養子となり、享保12年(1727)に幸道が死去した事を受けて信弘が4代藩主に就任しています。現在の邸宅は案内板によると「 当家主屋は江戸時代末期に藩主の館、花の丸御殿の一部を移築したと伝えられているもので、木造平屋建(一部、中二階)、桟瓦葺で藩重役の住居としての趣を有する。弓術家でもあったが、女子は八橋流筝曲を伝承してきた。鎮守社は、薬医門を潜り右手北東隅に位置する。覆屋棟には六連銭の真田家表紋と雁金、洲浜の裏紋の瓦がのり、側面を白漆喰の塗り込め、腰を海鼠壁としている。主に八幡宮がまつられている。 松代登録文化財の会 」とあります。主屋は木造つし2階建、寄棟、桟瓦葺、平入、桁行11間、梁間4間、建築面積296u、江戸時代後期の上級武家屋敷の遺構として貴重で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成18年(2006)に国登録有形文化財に登録されています。鎮守社は江戸時代後期に建てられたもので、切妻、桟瓦、平入、桁行1間、梁間1間、建築面積5u、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成18年(2006)に国登録有形文化財に登録されています。

真田勘解由邸:写真

真田勘解由邸
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