諏訪大社下社春宮

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概要・歴史・観光・見所
諏訪大社下社春宮概要: 諏訪大社下社春宮概要: 諏訪大社2社4宮の1宮で、創建等は不詳です。上社の主祭神の建御名方命に対し、下社ではその妻神である八坂刀売命が主祭神として祭られています。八坂刀売命は境内背後に聳える和田峠の守護神である事から山神である一方で安曇氏系海神、水神との説もあり、その両方の側面から秋宮、春宮の2宮が存在しているのかも知れません。諏訪大社下社は和田峠と諏訪湖に挟まれる場所にあり、半年ごとの遷座祭によって2〜7月には春宮、8〜1月までは秋宮に交互に八坂刀売命の鎮座が変わります。一般的な神社では山の神が田の神、里の神となる信仰がありますが、諏訪大社では多少異なるのかも知れません。神官も上社と下社では大きく異なり上社は建御名方命の後裔である大祝が自ら建御名方命を取り込む事で神格化して御神体になっているのに対し、下社の大祝は神武天皇の御子神八井耳神の後裔とされる金刺氏が祭祀を司っています。本殿に対する考え方も異なり下社では拝殿背後の大木が御神木とされ春宮では杉の木が祭られています。境内の社殿の配置は東西宝殿、さらに前には幣拝殿と左右片拝殿が建立され、さらに境内を囲むように4本の御柱が建てられています。これらの社殿配置は諏訪大社特有のものとされ、諏訪周辺の神社にも同じ様な系統の神社が分布しています。

又、金刺氏は代々武芸に秀でていた事から諏訪湖から境内に続く一直線の参道は馬場だったとされ、往時は沢山の武士が流鏑馬を競ったと伝えられています。室町時代に入ると上社の大祝は祭祀を司る大祝家と領内を当地する惣領家とに別れ、対立、金刺氏はこの混乱に乗じて上社を取り込もうとしましたが逆に惣領家に攻め滅ぼされました。その後、惣領家は諏訪氏を称して大名化し周辺を支配しますが、武田家の諏訪侵攻により一時没落します。社殿や境内は荒廃しましたが江戸時代に入ると再興され、諏訪氏も高島藩主として復権を果た幕府からも社領500石が安堵されています。現在の春宮の社殿は安永9年(1780)に建てられたもので諏訪出身の宮大工柴宮長左衛門が手掛けています。社殿は秋宮と競う事で再建毎に発展したとされ境内には数多くの名建築が残され中でも幣拝殿、左片拝殿、右片拝殿は国指定重要文化財に指定されています。

諏訪大社下社春宮の文化財
・ 春宮幣拝殿−安永9年−二重楼門,切妻,銅板葺,正面軒唐破風−国重文
・ 春宮左片拝殿−安永9年−銅板葺、桁行5間、梁間1間−国重文
・ 春宮右片拝殿−安永9年−銅板葺、桁行5間、梁間1間−国重文
・ 御柱祭−7年毎、寅と申年の式年際,日本三大奇祭−県指定無形民俗文化財
・ 下馬橋−元文元年−切妻、銅板葺、桁行5間、梁間1間−町指定
・ 春宮社叢−町指定天然記念物

諏訪大社下社春宮:写真

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