長岳寺(阿智村)概要: 廣拯山長岳寺は長野県下伊那郡阿智村駒場に境内を構えている天台宗の寺院です。長岳寺の創建は弘仁6年(815)、伝教大師最澄が古代の官道である東山道の難所である神坂峠に布施屋を建てたのが始まりとされ日本社会事業発祥の地とされています。布施屋とは旅人や物流業者の一時避難場所の事で主に寺院による慈善活動的な要素も強く信濃側には広拯院、美濃側には広済院が設けられました。長岳寺はその広拯院が前身とされ、園原にある月見堂がその跡地とされています。その後、駒場上町に移転し昭和46年(1971)に現在地に境内を移しています。
又、武田信玄の遺体を火葬した場所としても知られ、伝承によると天正元年(1573)、信玄は三河侵攻による野田城攻略の際、病が重くなり、やむなく信濃に撤退していた途中駒馬の山中で亡くなりました。当時の長岳寺住職が信玄の義兄弟である裕教法印だった為、密かに遺骸を境内まで運び裏山で荼毘にふしたと伝えられています。火葬され場所には火葬塚が設けられていましたが信玄没後400年際に火葬した灰を長岳寺境内に移し十三重塔を建立したそうです。寺宝とには「鍬形台三輪菊唐草透彫三鈷柄付」・「大日の丸練革製朱塗」と称する武田信玄が使用したと伝える兜の前立てを所有しています。中部四十九薬師霊場第20番札所(札所本尊:薬師如来)。山号:廣拯山。宗派:天台宗。本尊:十一面観世音菩薩。
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