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人 物 名 | 備 考 |
・木曽義仲 | ・徳音寺は木曽義仲が仁安3年(1168)に母親(小枝御前)の追善供養の為に創建された臨済宗妙心寺派の寺院です。義仲の死後に菩提寺となり戒名「徳音院殿義山宣公大居士」を由来として「徳音寺」と呼ばれるようになり、境内に御霊廟や供養塔が建立されました。山門は江戸時代中期の享保8年(1723)に犬山城(愛知県犬山市)の城主成瀬正幸の母親が寄進したもので、桁行3間、梁間2間、入母屋造、銅板葺、重層楼門、唐様式、木曽町(旧日義村)指定文化財に指定されています。
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・巴御前 | ・義仲が亡くなると、役目を終えた巴御前は竜神の姿に戻り、再び巴ヶ淵の川底に戻りました。その後、その遺徳を偲び、戒名「龍神院殿真巌玄珠大姉」が与えられ義仲の菩提寺である徳音寺に供養塔が建立されました。 |
・貝原益軒 | ・貝原益軒は貞享2年(1685年)に木曽路を旅し、宮ノ越宿を訪れた際、屋敷50軒程度で、木曽義仲や巴御前の史跡でる徳音寺や八幡宮、義仲の屋敷跡がある事を紹介しています。 |
・正岡子規 | ・正岡子規が木曽路(中山道)を旅したのは明治24年(1891)、その際、宮ノ越宿を訪れ、木曽義仲の居館、巴渕の見学、旗挙八幡宮、徳音寺を参拝しています。 |
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