文殊堂(鹿教湯温泉)概要: 文殊堂の創建は奈良時代、聖武天皇の勅命により行基菩薩が全国を巡錫し当地に訪れるとただならぬ霊気を感じとりました。行基は霊地と悟り急ぎ早に奈良の都に戻ると三体の文殊菩薩像を彫り込み、弟子の1人園行に1体を託し安置させのが始まりと伝えらています。以来、「日本三大文殊」(※1)の1つとして広く知られるようになり、境内近くから湧き出る鹿教湯温泉は文殊の湯として多くの湯治客が参拝に訪れました。鹿教湯温泉の開湯伝説には文殊菩薩の化身である鹿が、日頃から文殊信仰に篤い猟師の前に現れ霊泉の湧き出す源泉の場所を教えられたのが始まりとされ、鹿教湯温泉と文殊堂の関係が深い事が窺えます。
現在文殊堂は元禄14年(1701)に着工し宝永6年(1709)に竣工したもので下之原村(現在の下諏訪町)出身の牛山平左衛門が棟梁として手懸けています。入母屋、銅板葺(元こけら葺)、平入、間口3間、奥行4間、正面1間向拝付、当初は3間堂でしたが前面1間分(吹き放し部分)が増築され現在のような形式となりました。建物全体が極彩色で彩られ、天井に描かれた見事な龍、正面欄間や向拝、蟇股などには繊細な彫刻が施されています。文殊堂は江戸時代中期に建てられた長野県有数の寺院御堂建築の遺構として貴重なことから昭和63年(1988)に長野県の県宝に指定されています。
補足
(※1)日本三大文殊−一般的に日本三大文殊とは大聖寺(山形県高畠町)・智恩寺(京都府宮津市)・安倍文殊院(奈良県桜井市)とされます。又、行基菩薩は文殊菩薩の化身とも云われ行基が彫り込んだ3体の文殊菩薩像は日本三体文殊として信仰の対象になった為、上記の寺院以外にも文殊寺(埼玉県熊谷市)、家原寺(大阪府堺市)、竹林寺(高知県高知市)、文殊堂(長野県上田市)が自称しています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-長野県教育委員会・上田市教育委員会
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