【 概 要 】−宮ノ越宿(長野県木曽郡木曽町日義)の本陣は慶長7年(1602)に 中山道(木曽路)が開削された際に整備され、明治3年(1870)に宿場制度が廃止になるまで続けられました。本陣職は村上弥右衛門家が代々歴任し宮ノ越宿の問屋場も兼ねていました。天保14年(1843)に製作された絵図では敷地が間口19間、奥行18間、面積194坪と他の町屋建築の敷地と比べても広大で、主屋には会所や勝手、八畳間、十畳間などがあり、中庭をかいして、客殿があり、客殿には式台付の玄関、板の間(15坪)、大広間(18畳)、三の間、二の間、御上段(上段の間)、敷地背後には土蔵が配されていました。又、身分が高い人物しか利用出来ない表門があり、ここを潜ると書院の玄関に直接入れるような配置となっていました。元治2年(1865)に火災により焼失し、その後再建されましたが明治16年(1883)の火災で主屋部分が再び焼失しています。客殿はかろうじて残されましたが、その後住宅として改変され、村上家が他所に引越しすると荒廃しました。現在の客殿は当時の建物で、木造平屋建、切妻、妻入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、失われていた式台付玄関などが復元され、表門も現存する門扉から復元されています。又、村上弥右衛門家には明治13年(1830)に明治天皇が巡幸で宮ノ越宿を通過した際に小休止所として利用されています。
宮ノ越宿・名所・見所:本陣・徳音寺
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