藪原宿(木曽路)・本陣

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藪原宿(木曽路)・本陣

【 概 要 】−慶長7年(1602)に中山道(木曽路)が開削されると、藪原宿(長野県木曽郡木祖村)もその宿場町として整備され本陣が設置されました。本陣は大名や幕府役人、公家、高僧など身分が高い人物が休息や宿泊で利用する半公共施設で、特に藪原宿中山道(木曽路)の難所として知られた鳥居峠を控えた為、参勤交代で大名が宿泊所として利用する事が多く、本陣の規模は木曽路最大で、間口14.5間(約26m)、奥行21間(約39m)、敷地面積約310坪、部屋数20余を数えました。又、身分が高い人物が利用する為、格式の高い意匠、工法などが厳しく定められ、表門、式台付玄関、上段の間(通常の座敷より床が1段高く、床の間や違い棚、出書院などが設置)などが設けられました。本陣職は中世木曽谷を支配した木曽家当主だった木曽家村の3男、木曽家景の後裔とされる古畑十右衛門家が代々世襲し、文久元年(1861)11月3日には皇女和宮も徳川将軍家降嫁の際に宿泊で利用しています(戦国時代には古畑氏館を居城にして当地を治め、古畑十右衛門正貫は茂林和尚を招いて極楽寺を創建しています。本家筋の木曽氏は木曽谷から去り没落した為、古畑十右衛門家は当地に土着し藪原宿が開宿すると本陣職に任ぜられたと思われます。6代目からは寺島家に改名しています)。現在は敷地背後が中央西線開通後に大きく削られ、屋敷も取り壊され、雰囲気すら感じられない程改変されています。

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