小林一茶旧宅(信濃町)概要: 小林一茶は宝暦13年(1763)に北国街道の柏原宿の中級農家に生まれ、14歳までこの地で育ちました。安永6年(1777)で江戸へ上り、天明8年(1788)に小林竹阿に師事し俳諧を学ぶと寛政3年(1791)に一時帰郷しその後全国を旅し数多くの俳句を残しました。享和元年(1801)、父親の看病の為、一時帰郷、父親が亡くなると再び全国を歴訪し50歳で帰郷した一茶は父親の遺言により北半分を一茶、南半分を弟が受け取り、街道沿いにあった主屋は間仕切りを設けて分けて暮しました。その後、宿場の火災に類焼し家屋は焼失、一茶は敷地奥にあった土蔵(土蔵造平屋建、切妻、桁行3間半:6.2m、梁間2間2尺:4.2m、茅葺、外壁は土壁鏝押え)で暮らし、弟は木造2階建、茅葺、茅葺、桁行4間半(8.1m)、梁間4間(7.2m)の町屋を再建しています。一茶はここで年の離れた「きく」と結婚し3男1女を授かり(何れも早死)、「きく」が死去すると「雪」と結婚し、「雪」と離婚すると「やを」と結婚しています。文政10年(1827)に一茶は土蔵で永眠、享年65歳、その時「やを」は妊娠しており、唯一一茶の子供として生き残った「やた」を出産しています。小林一茶旧宅跡は歴史的偉人の旧跡として大変貴重な事から昭和32年(1957)に国指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・レリーフ-信濃町教育委員会
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