観音堂・概要

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若一王子神社・観音堂

[ 若一王子神社 ]
若一王子神社観音堂は江戸時代中期の宝永3年(1706)に大町出身の宮大工金原又七・作助によって建てられ建物です。当時の若一王子神社は神仏習合し若一寺という寺院でもあった為、本地仏である十一面観音像を安置する観音堂の造営が求められました。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により、若一寺が廃寺となり若一王子神社に社号を改め為、仏教色の強い観音堂は破却される対象になりましたが、名称を「神楽殿」に変更し解体を免れています。観音堂は木造平屋建て、寄棟、茅葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付き(木鼻に施された唐獅子も特徴ある彫刻とされます)、内陣に設置されている宮殿は、入母屋、妻入り、こけら葺き、細部には精緻な彫刻が施され極彩色仕上げ。若一王子神社観音堂は江戸時代中期に建てられた御堂建築の遺構として貴重な事から宮殿、棟札1枚と共に平成23年(2011)9月29日に長野県の県宝に指定されています。
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写真1:大鳥居 写真2:木製鳥居(朱塗り) 写真3:三重塔 写真4:境内石畳み 写真5:本堂 写真6:観音堂
写真7:境内社 写真8:八坂神社 写真9:境内 写真10:三重塔正面 写真11:観音堂正面

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