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若一王子神社三重塔は木食古信法阿の発願により江戸時代中期の宝永6年(1709)に起工し、宝永8年(1711)に竣工しました(当時の若一王子神社は神仏習合し仏教色の強い三重塔が求められても不思議ではありませんでした)。木食古信法阿は現在の松本市付近出身で厳しい修行の末、晩年現在廃寺となった弾誓寺6世紀に就任している事から、その時に若一王子神社三重塔を発願したと思われます。三重塔は三間三重塔婆、桁行1丈3尺7寸6分(4.2m)、梁間1丈3尺7寸6分(4.2m)、高さ20.21m、屋根は宝形こけら葺き、内部には四天柱が設けられその中央には須弥壇が設置、本尊である金剛界五仏が安置されています。1層目の壁面の蟇股には十二支を擬人化した彫刻が施され、南面には「羊・馬・蛇」、東面には「龍・兎・虎」、北面には「牛・鼠・猪」、西面には「犬・鶏・猿」がそれぞれ配されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により仏教色の強い三重塔は破却される対象になりましたが、名称を「物見の高楼」に変更し解体を免れています。若一王子神社三重塔は宝暦五年(1755)、文化五年(1808)、文政十二年(1829)、安政六年(1859)の4枚の棟札と共に昭和41年(1966)に長野県の県宝されています。 | |||||||||||
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