如法寺弘法堂(中野市)概要: 如法寺の創建は大同2年(807)、空海がこの地を訪れた際、自らが千手観音を彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。天長3年(826)には真如法親王が境内を整備し七堂伽藍に36坊が軒を連ねる大寺として寺運が栄たそうです。一時衰退しますが応永19年(1412)に周辺の領主だった高梨規政(居城:高梨氏館)が再興、しかし、永禄年間(1558〜1569年)に川中島の戦いで堂宇が焼失してしまいます。江戸時代に入ると幕府から庇護され、特に4代将軍徳川家綱が篤く帰依し堂宇などを再建しています。現在の弘法堂は17世紀後半に建てられたと推定され寄棟、銅板葺き(元茅葺)、桁行4間、梁行3間、正面に1間の向拝が付いています。如法寺弘法堂は向拝の蟇股の形状などの詳細は古式を踏襲すつもので彫刻には北信濃の特色がよく見られるものとして平成14年(2002)に中野市指定有形文化財に指定されています。
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