旧新井家住宅(宮田宿本陣)概要: 案内板によると「 本陣は伊那街道を旅する諸侯や高貴の方の公用宿泊所であるが、江戸時代中期までは御茶屋屋敷と称し元禄期以後全国的に本陣と改称される気運になった。新井家は本陣の管理者として代々継承いて居宅部分の屋号を王屋と称しその建築資材や什器類は藩の支給に負っていたが、現存する建物は宝暦年間(230年前)と推定され伊那街道には他に類例を見ない全容がうかがえる。 宮田村教育委員会 」とあります。
伊那街道(三州街道)を参勤交代で利用するのは飯田藩の歴代藩主だけで、宮田宿本陣(旧新井家住宅)では飯田藩主の他、座光寺家(旗本・山吹陣屋)、小笠原家(旗本・伊豆木陣屋)、知久家(旗本・阿島陣屋)など利用しました。旧新井家住宅主屋は18世紀半ば(江戸時代中期)以前に建てられたもので木造平屋建て、切妻、平入、板葺き石置き、真壁造り土壁鏝押え、桁行7間1尺、梁間7間、内部は向って右側が土間で厩が2頭分、左側が居住区で2列6室で構成されています。座敷棟は19世紀初期(江戸時代後期)に木造平屋建、切妻、板葺き石置き、桁行6間、梁間3間、内部は式台付の玄関の間、次の間、上段の間で構成されています。土蔵は土造平屋建、切妻、桟瓦葺、桁行3間半、梁間2間半、外壁は白漆喰、腰壁は海鼠壁)、門は木戸門形式で切妻、板葺、間繰り7尺。旧新井家住宅は江戸時代に建てられた本陣建築の遺構として貴重なことから現在地(宮田村ふれあい広場)に移築保存され昭和62年(1987)に長野県の県宝に指定されています。
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