池口寺

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須原宿(木曽路)・池口寺

【 概 要 】−瑠璃山池口寺は長野県木曽郡大桑村殿に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。池口寺の何時頃開かれたのかは判りませんが、寺伝よると平安時代後期の承平7年(937)に創建された古寺で、近江国の郷司である源義寛が先祖の追善供養の為、小川の邑の光明池の畔に一宇を設けて医王尊仏を安置、明雲僧正を招いて開山したとされます。鎌倉時代後期の徳治3年(1308)には銅製鰐口(長野県県宝)が奉納されている事からも詳細は判りませんが一定以上の信仰を集めていた事が窺えます。建武の新政が行われた建武2年(1335)に火事により鎌倉時代後期に建築されたと推定されている薬師堂(長野県県宝)以外の堂宇が焼失し、記録、寺宝も同時に失いました(薬師堂からは正応2年:1289年に伐採された木曽ヒノキが使用されている事が判明されています)。

暦応3年(1340)に当時の郷司である池口入道祥悟が堂宇の再建に尽力したとされます。池口入道祥悟とはどの様な人物かは判りませんが、池口寺から程近い所(同じ大字「殿」)に鎮座する白山神社は元弘4年(1334)に郷司である三郎光友によって創建されたとされ、同地区、同時期に社寺に関わった郷司名が異なるのは興味深いところです。戦国時代の天正2年(1574)に領主である木曽家の菩提寺である定勝寺から貴山和尚を招き天台宗から臨済宗へと改宗しています。本尊である薬師如来像は鎌倉時代初期、脇侍である日光菩薩像、月光菩薩像は室町時代中頃に製作されたもので、何れも大桑村指定文化財に指定されています。

池口寺薬師堂は鎌倉時代後期に造営されたもので、木造平屋建て、宝形造、こけら葺き、平入、桁行三間、梁間四間、外壁は真壁造り板張り、内部には薬師如来像、日光菩薩像、月光菩薩像が安置されています。薬師堂は鎌倉時代当時の御堂建築の遺構として貴重な事から平成2年(1990)に長野県の県宝に指定されています。特に女性から信仰され、母乳授かりに御利益があるとして多くの絵馬が奉納されていました。池口寺山門は切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門中部四十九薬師霊場第23番札所。山号:瑠璃山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。

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